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調教・SM

エロ爺の通い妻として調教されちゃった

投稿日:2022年1月4日 更新日:

『エロ爺との出会いは突然に』

僕の日課はジョギングです。

いつも夕方は河原を2キロほど走るようにしています。

ある土曜日の夕刻、僕が河原を走っていると、見た目70歳ぐらいのおじいさんが歩いてきました。

おじいさんは具合が悪いのか、息をぜいぜいさせると、急に道ばたに座り込んでしまいました。

僕が「大丈夫ですか」といって声をかけると、おじいさんは「すまんが、わしを自宅まで送ってくれんかのう」と頼み込んできました。

「あっ、気分がお悪いんですね」といい、僕はおじいさんの肩を抱えて自宅まで送ってあげることにしました。

一軒家の古いお宅へ着くと、おじいさんは「すまんかった。ちょっとだけお礼をしたいから、あがっていかんか」といって、僕を自宅の中へと誘いました。

僕は「いえ、結構ですから」と断りましたが、「まあ、そういうな」といって、なかば強引に僕を家の中へと引っ張り込みました。

一人暮らしのおじいさんだろうし、かわいそうだから、ちょっとつき合うか、と僕が気を許したのは失敗でした。

部屋へ入るなり、おじいさんが僕の体に抱きついてきたのです。

 

『エロ爺に犯されるなんて』

おじいさんは僕の顔をなめまわすと、僕のベルトをはずしにかかり、ズボンを脱がせてきました。

僕は「や、やめてください」と抵抗しましたが、おじいさんは「年寄りには従うもんじゃ。減るもんじゃないし、よかろうが」といい、そのまま僕を押し倒して、僕の体に覆いかぶさってきました。

おじいさんとはいえ、その力は相当なものでした。

どちらかというと、ひ弱でか細く、よく女の子と間違えられるほど小柄な僕は、おじいさんのなすがままでした。

「ひひひ」と不敵な笑い声をあげながら、おじいさんはイチモツを僕のお尻の中へ挿入し始めました。

僕は「やめて」といって、必死に拒もうとしましたが、「そのうち気持ちがよくなる」というおじいさんの言葉通り、頭がぼうっとなって、体の奥底から快感がこみあげてくるのがわかりました。

気がつくと、僕は畳の上で女の子のようなあえぎ声をあげていました。

 

『通い妻としての調教が始まった』

僕は、そのときの快楽が忘れられなくて、おじいさんの家に通うようになりました。

おじいさんは僕のことを通い妻として調教したいらしく、僕に女の格好をさせるようになりました。

おじいさんが大好きだという花柄のワンピースにお化粧、セミロングののウィッグ。

僕はピンクのエプロンを買ってもらい、おじいさんのためにお料理やお掃除をがんばりました。

ふたりで食卓を囲むと、ちょっぴりお酒を飲んで、お布団で抱き合いました。

おじいさんは、その日の気分で体位を変えてきました。

僕はノーマルに抱かれるのが好きなのですが、おじいさんはバックが好きなのか、よく後ろから攻めてきました。

僕はひいひいいいって、涙を流しながら、おじいさんとの快楽におぼれました。

僕はおじいさんのために、もっと美しくなりたいと思い、おじいさんにおねだりをして、かわいい洋服をたくさん買ってもらいました。

ちょっとキャバ嬢のような恰好を楽しみたかった僕は、肌も露わなドレスも買ってもらいました。

ねえ、おじいさん。

もっと僕を見て。

僕に触って。

僕はおじいさんの通い妻として、すべてを捧げる決心をしました。

 

『通い妻から同棲妻、やがて心の妻に』

おじいさんのために尽くしたいと思った僕は、やがておじいさんと一緒に暮らすようになりました。

おじいさんのセックスは年齢を感じさせず、日増しに熱く激しくなっていきました。

毎日どころか、日に2度も3度も、僕は犯され続けました。

一緒にお風呂に入って、浴槽の中でエクスタシーを感じたこともあります。

男性に犯されるのが、こんなに大きな悦びにつながるなんて、僕自身、想像もしていませんでした。

おじいさんからひとりの「女」として調教されている自分がうれしくて、自分でいうのも何ですが、僕、いや私はどんどんきれいになっていきました。

ある日、おじいさんからプロポーズをされた私は、こっくりと頷いて、おじいさんが用意してくれたウェディングドレスを着ました。

自宅で、ふたりだけで結婚式をあげた私たち。

もちろん法的な効力はなく、単なる結婚式ごっこだとしても、私にとっては、おじいさんとのかけがえのない愛の証になりました。

その後、新婚旅行と称して、私たちは初めてふたりで温泉旅行へ行きました。

温泉旅館ではひと晩中、抱き合っていたことはいうまでもないでしょう。

私自身、ミニスカートをはいて外出するのは初めてだったので、ちょっと緊張してしまいました。

外へ出かけるとき、女性はいつもこうして「見られている」という緊張感を味わっているんですね。

きっとその緊張感が、女性の美しさにつながっているのかしら。

最初は単なるエロ爺と思ったおじいさんですが、今の私にとっては世界で一番大切なダーリンです。

おじいさん、いつまでも長生きしてね。

そして私のことを愛し続けてほしいです。

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