私は小学性の頃、給食の時間が嫌でした。
なぜならそれは、私を苦しめる時間だったからです。
■小学2年生から始まった浣腸調教
私の母は私を産んで間もない頃に病気で亡くなってしまったそうです。
それからは父に男手で育てられてきました。
溺愛といってもいいくらい可愛がられていて、私はとても幸せな幼少期を過ごしました。
その記憶は大人になった今でもあります。
でも、子供の頃の記憶をたどる時、幸せだった記憶とは別の忌まわしい記憶も蘇るのです。
(パパ、やめて・・・)
小学2年生の私は、いつも心の中で懇願していました。
父の前で仰向けに寝かされて、脚を開かされます。
父の手には赤ちゃん用のイチジク浣腸。
週の初めにそれをお尻の中に注入されるのです。
僅か10gの量ですから、それほどきつくはありません。
でも、それはすぐに排泄が許された場合のことです。
浣腸液を注入されて、子供には大きなサイズのアナル栓をされてしまえば、その僅かな浣腸液は私にとって長い苦しみの始まりになるのでした。
■栓をされたままで過ごす日常
浣腸液を注入されてすぐは、強烈な排泄感に襲われます。
お腹の中がキュルキュル鳴って、注入された浣腸液を出したい衝動に駆られました。
急いでトイレに駆け込むけれど、アナルに挿し込まれた栓のせいで、排出することはできません。
排出するには父に栓を抜いてもらわなければいけないのですが、父はそれをしてくれませんでした。
諦めて父のところに戻ると、父は私のお腹を撫でて優しい声で言いました。
「今我慢すれば、ウンチをしたいのは収まるからね。少し辛いけど頑張ろうね」
父は私のお腹を愛しげに撫でています。
父の言う通り、30分もすれば一度は便意は収まります。
腸の動きと関係あるのでしょうか、便意は収まったり、また強烈に押し寄せてきたりの繰り返しでした。
最初の頃は、2日我慢すれば栓を外してウンチをさせてもらえました。
でも日ごとに感覚は開いて、その頃には1週間栓を取ってはもらえませんでした。
学校に行く時は、紙オムツをつけられます。それはウンチを漏らした時のためではなく、別の調教のためでした。
父はウンチを我慢させるだけでなく、オシッコも我慢させました。
学校に行く前に1度だけオシッコをさせてくれると、あとは学校から戻るまでオシッコをすることを許してくれません。
もし我慢できずにオムツを濡らしてしまえば、父にお仕置をされました。
四つん這いにされて、栓を抜かれると、また新しい浣腸液を注入されます。
それはさらに私を苦しめました。
授業中も絶えず便意に苦しめられます。
体育の時間は休むように父は取り計らってくれましたが、見学の間もお腹の苦しさと尿意に耐えるので必死でした。
家に帰れば、父が待っていて、私のオムツが濡れていないのを見ると、無断でオムツを外してオシッコをしていないか確かめるために、尿道カテーテルを差し込んで、洗面器の中にオシッコを出させます。
量が多ければ我慢していたと信じてもらえて褒めてくれますが、少なければ烈火のごとく叱られました。
尿意は解放されますが、私はこの時間が大嫌いでした。
1日経つごとに膨れてくるお腹。
父は私のそのお腹をいつも愛しげに撫でるのでした。
■保健室の先生は父のお友達
4日を過ぎる頃には、排出できない便のために腸が膨れて膀胱を圧迫するためか、尿意は我慢できなくなるのです。
給食を食べれば腸が動いて便意を誘い、牛乳を飲めば尿意が増します。
食べることも飲むことも苦痛になり青い顔をしていると、担任の先生が保健室に行くよう言ってくれるのですが、私はそれも怖かったのです。
保健室の男の先生は父の友達でした。
そして、私が父にされていることも知っていました。
私が保健室に行くと、先生は私をベッドの上に立たせて、外から見えないようにカーテンを引きました。
そして、私にスカートをまくり上げさせて、紙オムツをとり、父と同じように膨れたお腹を撫でるのです。
「ここに由衣ちゃんのウンチがいっぱい溜まってるんだね」
先生の手がお腹を撫でるたびに尿意が込み上げてきました。
「先生、オシッコがしたいです…」
恥ずかしさを堪えて小さな声で言うと、先生は「うん、そうだね」と言って、私のクリを舌で舐め始めました。
オシッコを我慢しているところに刺激を与えられると、漏らしそうになります。
漏らしたらベッドを汚してしまう。
それ以上に、父のお仕置が頭をよぎりました。
「先生、オシッコ出ちゃう…」
「うん、でもお漏らししたらパパにお仕置されちゃうね」
先生は愉快そうに言って、執拗にクリを舌で舐め回します。
「由衣ちゃんのクリはおいしいな。オシッコはどんな味がするのかな」
「ふぇえ・・・先生やめてください~」
先生は舌先を硬くして尿道を刺激したり、クリを突いたり・・・私はチャイムが鳴るまで太腿を痙攣させながら我慢するしかありませんでした。
ようやく紙オムツをつけてもらえた時には、安心してしまったのもあって、オシッコをお漏らししてしまいました。
■父のお仕置
家に帰ると、いつものようにオムツを外されチェックされました。
濡れていたので、父はとても不機嫌そうでした。
「小学生にもなってまだお漏らしするのか」
「ごめんなさい…」
「そんなに癖の悪い子はオムツだけではダメだな」
そう言って、私の尿道にカテーテルを差し込んで、抜けないように膀胱内でバルーンを膨らませ、先端をセメダインでフタをしてしまいました。
「朝までオシッコを我慢するんだ」
厳しい声で言って、それから30分おきにコップ1杯のお水を寝る時間まで飲ませました。
冷たいお水を飲まされて腸の動きも増して便意が止まりません。
尿意も込み上げてきますが、カテーテルの先をフタされてるので出すこともできません。
朝まで眠ることもできずに腹痛と尿意に耐えていました。
■朝になれば新たな苦しみの始まり
朝になって、ようやく父はカテーテルを抜いてくれました。
洗面器の上に跨せられて、オシッコをする姿を父は満足そうに見ていました。
「朝までよく我慢したね。この我慢を覚えておくんだよ」
そう言って、またカテーテルを私の尿道に挿し込みました。
そして、少し長いカテーテルを括って、その結び目をちょうど私のクリに当たるようにしました。
履かされたのは、紙オムツではなく、ゴムのパンツ。
柔軟性のない性器にもお尻にもぴっちり引っ付くパンツでした。
これではクリに当たっているカテーテルの結び目がずれることはありません。
それよりお腹が圧迫されて嘔吐感が込み上げました。
保健室に行けば、先生がパンツを脱がせてくれますが、「とうとうこんなふうにされちゃったんだね」と笑って、またクリを舐め始めます。
「今度は漏らす心配がなくてよかったね」なんて言いながらずっと舐めたり、カテーテルをゆすっては尿道を刺激しました。
でも、今日はやっと栓を外してもらえる1週間目。
私は学校が終わると小走りで家に帰りました。
早くカテーテルもお尻の栓も外してほしかったからです。
でも、外してもらう時に約束事を忘れていました。
父は私にペニスを見せて「どっちにする?」と聞いてきました。
口でフェラするか、膣の中で中出しさせるか、と聞いているのです。
父を先にイカせないと、栓もカテーテルも外してもらえないのでした。
私に口でする余裕はありませんでした。
口だと時間がかかってしまいます。
私は、膣に出してくれるようにお願いしました。
父は私を寝かせて、膣の中に挿入してきました。
わざとお腹に体をのせて。
父が動くたびにお腹も膀胱も押さえつけられて、中からも刺激されて、私は息も絶え絶えになっていました。
父がようやくイッてくれて、栓もカテーテルも外してもらえました。
場所はお風呂場です。
体が痙攣するくらい激しく、お腹の中に溜まったウンチと破裂しそうなくらい膀胱に溜まっていたオシッコをぶちまけました。
そのあとは父が体をきれいに洗ってくれて、束の間の安らぎを味わいました。
でも、月曜日の朝になると、また浣腸調教が始まります。
今度は小学生用の20gに量が増やされました。
また1週間の苦しみが始まります。
それは私が高校を卒業して家を出るまで続きました。
浣腸液を長時間留めてとくと腸がダメになって人工肛門になるけど
おっさんがやりたい事を妄想で書いてるだけなんじゃないの?(笑