『きっかけ』
学生の頃の初体験として強く印象に残っているのはやはりストリップ劇場に行った時のことだ。
今から40年あまり前のことだが、当時私は関西の某大学の学生だった。
まだ童貞だった私は、当時流行っていたビニ本(ビニール袋に包装された裏本)こそ見たことはあったが、あくまで写真上での話で、成人女性の全裸姿やマンコを生で見たことは無かったのだ。
特に付き合っている彼女もいなかった私にはインターネットも普及していない当時では無修正動画を見るすべもなく、裏ビデオの存在は知っていたが名もなき一介の学生の手に易々と入るものではなかった。
そこで思い浮かんだ手っ取り早く生マンコを見る方法はストリップ劇場に行くことだと分かったのだった。
そのことを同じゼミの友人Yに言うと、同じく童貞だった友人Yが乗り気になったので2人でストリップ劇場に行くことに決めたのだった。
『ストリップの殿堂 十三ミュージック』
ストリップに関する知識や情報は皆無だったが、それでも何となく噂で十三ミュージックの名前だけは知っていた2人は、初ストリップは十三ミュージックしかないと決めた。
大学の授業のない平日のある日、私たち2人はいそいそと十三ミュージックに向かった。
そこは阪急十三駅から歩いて10分程度のところだったが、思ったよりも場所が分かりにくくて探すのに苦労した。
やっとのことで見つけたものの劇場前には疎らながら通行人がいたため、人通りが切れた瞬間を見計らって急いで中に入った。
当時の入場料金はたしか学割が効いて三千円だったと思う。
さらにステージのある会場の中に入ると、驚いたことに昼間だというのにそれなりに客がいたことだった。
もちろん男性客ばかりだったが、おじさんばかりかと思ったら高齢の男性も結構いたのである。
思わず「男はいくつになってもスケベなんだな」と思った。
ただし若そうな男性はわずかしかおらず、どう見ても私たちが最年少の客のようだった。
『踊り子』
劇場の中に入ると、奥から中央部にかけてステージがあり、中央部の円形のステージ上でちょうど踊り子さんが衣装を脱ぎながら踊っているところだった。
通称「かぶりつき」と言われるらしい最前列の席はどこも埋まっていたが、私たちはできるだけ踊り子さんがよく見える席を求めて辺りをを見渡し、「ここだ!」という席についた。
ストリップ劇場のショーは最初に紹介程度のダンスがあり、次にメインのショーがあって最後にお客さんを回って順番に御開帳して見せるという段取りが1人当たりの踊り子さんのターンである。
最初のダンスや最後の御開帳にも踊り子さんの個性はあるが、何といっても差別化されるのはメインのショーである。
これは踊り子さんによってそれぞれ違う。
正統派のダンスを踊りながら脱ぐ踊り子さんもいれば、男優さんが出てきて本番をする踊り子さんや有名な花電車をする踊り子さんもいた。
また現在はやっていないかもしれないが当時はまな板ショーと呼ばれるお客との本番行為もあった。
私たちはその初めて見るショーと生マンコに圧倒されながら時間の経つのも忘れて見入ったのだった。
『本番』
お客としておじさんや高齢者が圧倒的に多い中で、若いというかまだ20歳そこそこの幼い2人の男性が目を輝かせながら興味津々でショーを見ていることに当然踊り子さんたちも気づいたようだった。
そして明らかに私たちへのサービスが良くなったのである。
着物を着た踊り子が脱いでいくショーでは私に着物の帯を持たせ、踊り子自らがくるくる回って着物をはだけるという演出をした。
それはまるで時代劇で悪代官が生娘の着物の帯を持って回転させ、「あれー」と娘は叫びながら着物をはぎ取られるといったシーンを思い起こさせる演出だった。
これには観客も大うけで、期せずして拍手まで起こったのである。
そして極めつけのサービスはまな板ショーでのことだった。
まな板ショーを行う場合はステージ上に敷き布団が敷かれ、行為の相手をしたい客は挙手した上、その中から選ばれるというのが手順だった。
しかしある踊り子さんのまな板ショーの時は、驚くことに私を逆指名したのだ。
突然、逆指名された私はひどく動揺し、いったんは断ったが、踊り子さんの執拗な勧めに諦めた私はステージに上がったのだった。
「まさか初体験がまな板ショーとは・・・」
予想外の展開にただただ呆然とする私のムスコは踊り子さんによってしごかれ、咥えられ、吸い取られ、やがて踊り子さんの体内に挿入され、見事発射し果てたのでした。