告白します。
私は、使用済みの下着を、見ず知らずの他人に売ったことがあります。
『そういうことに興味があって……』
高校を卒業して、大学生になったばかりの頃のことです。
引っ込み思案な私は、大学の浮かれた空気に馴染むことができませんでした。
高校生の頃仲の良かった友人ともなかなか会えなくなって、思ったように人と交流することができなくなりました。
一時的でもいいから、この寂しさを埋めたい。
そんな軽い気持ちで、『裏垢』を作りました。
裏垢女子、というハッシュタグをつけて、男性が興奮するような際どい写真やツイートを、Twitterに投稿する。
それが裏垢です。
本当に軽い気持ちでした。
誰かに反応してほしい、ただそれだけでした。
例え目元を隠しても、顔を晒したら特定されるかもしれない。
初めにそう考えた私は、顔ではなく、体の写真を撮ることにしました。
部屋着を捲り上げ、胸の谷間を強調した写真。
ハッシュタグと共に投稿されたツイートには、たくさんのいいねとリプライが付き、瞬く間にフォロワーが増えました。
あまりの反響に半ば困惑しながらも、届いたリプライやDMに返事をしていきます。
当然ながら、メッセージを送ってくるアカウントは皆男性です。
彼らは私自身ではなく、私の体を好いている。
私とメッセージを交わすことで、どうにかして下着の向こうの肌や柔らかい胸に触れないかと妄想している。
それだけに留まらず、私の体を想像の中でめちゃくちゃに犯しているかもしれない…
その事実に、私はどうしようもなく興奮しました。
自分がこんなにはしたない女だなんて知りませんでした。
リアルで接する人たちには決して知られることのないもう一人の『裏』の自分。
その名に相応しい人格が、私の中にはありました。
大学で友達を作り、交流する中で感じる楽しさとは違う何かが、満たされる感覚がありました。
寂しさはあっという間に忘れました。
言わずもがなSNSにのめり込んだ私は、次々と過激な画像をアップロードしました。
下着も何もつけていない状態で、大事な部分だけを隠して鏡越しの自分を写した写真とか、人より少し大きいという自覚のある胸に、男性器を彷彿とさせる棒状のものを挟んだ写真とか。
投稿する度に大きな反応が返ってきます。
フォロワーも増えます。
日常的なツイートにもリプライがつくようになります。
そのひとつひとつが、私の体を性的に消費し犯しているのです。
想像する度に、私ははしたなく濡れました。
『更にエスカレートして……』
私を性的な目で見てくれるフォロワーさんたちの中でも、特に私に頻繁にリプライやDMを送ってくれる人がいました。
その人が、突然送ってきたDM。
それが、私の運命を変えました。
「さっきの写真で履いてたパンツ、売ってくれない?」
私は困惑しました。
さっきの写真、というのは、下着だけを身に纏った私が、足を開きその間を見せつけるようにして鏡に写っている写真です。
今までもそのような投稿は何度かありました。
なのに、今日に限って何故そんな提案をしたのかが不思議でした。
私はふと思い立って、投稿した写真を見返しました。
すると、写真に写っているパンツの一部分に、何やら液体が染みているような様子があるのです。
私は写真を撮りながら、知らず知らずのうちにそこを濡らしていたのです。
それに気づかず写真を撮って、更にはSNSにアップしたのです。
恥ずかしさで顔から火が出そうでした。
同時に、やはりどうしようもなく興奮しました。
自分のはしたなさを強く実感しました。
そんなはしたない私の写真を使って、不特定多数の人が妄想や想像の中で私を……
写真を見られて妄想されるだけでも興奮しているのに、パンツなんか売ったらどうなってしまうんだろう。
私がはしたなく漏らした愛液の染み込んだそれを誰かが受け取り、それを使って更にもっと過激なことを──
もう、後先考えることはできませんでした。
私はそのとき、生まれて初めてパンツを売りました。
その場で脱いだパンツは、投稿した写真よりも遥かに濡れて湿って、いやらしい匂いをさせていました。
『そして、今でも』
あの直後から、急に大学生活やバイトで忙しくなり、ゆっくり写真を撮る時間もDMを返す時間も無くなってしまいました。
やがて寂しいという感情を忘れた私は、更新が1ヶ月前で止まったアカウントを静かに削除しました。
パンツを売った経験は、あの一件のみです。
それでも、あの感覚は今でも忘れられません。
どこかの誰かが、私の体を見ている。
衣服の向こうの、隠された向こうを想像している。
人の行き交う交差点で、次の電車を待つ駅のホームで、同年代の集まる大学で、見知らぬ土地で。
不意にそのときを思い出して、私はどうしようもなく興奮します。
そして、あのとき売ったパンツを……誰かの手に渡った下着のことを思い出すのです。
私から染み出したそれで湿った下着は、もう私の一部分と言っても差し支えないでしょう。
それを触られ、匂いを嗅がれるということは、もう、犯されていると同義なのです。
人気のない場所で、電車の中で、一人の部屋で。
スカートの下を弄られているような感覚。
私の履いたパンツが誰かに使われているのを想像するたび、私は例え一人きりでも、誰かに犯されている錯覚に陥ります。
パンツなんて売らなければよかった。
私はこのまま一生、このはしたない感覚を抱えて、生きていかなければならないのです。