なかなか外国人で初体験を済ませると言う体験はないのではないでしょうか?
私は家庭の事情もあり、中学校までアメリカで暮らしていました。
初体験は13歳の時でませていた私はお付き合いをしていた15歳のアメリカ人女性としました。
・もう完全に狙ってました
とにかく訳もなく白人女性に異常な執着があり、お付き合いした女性は悉く白人でした。
おそらく父の持っていたプレイボーイに感化されたのだと思います。
女の子は男の子の比べると成長が早い傾向にあり、これは白人だと特に顕著です。
14歳ぐらいから完全に性的な魅力が増し、胸やお尻は大きくなります。
これは刺激が強く、本当にどうやったらお付き合いできるかを小さな頃から考える様になっていました。
中学生に入るとアメリカでもクラブ活動は活発になります。
私は野球部に入部し、チアリーディングをしている年上の女の子に目をつけていました。
白球を追いかける前に白人を追いかけていました。
完全におかしい人です(笑)
野球はアメフトやバスケと違い日本人が活躍できるスポーツです。
私はレギュラーに入り、試合に出る数も増えました。
チアリーディングは試合がある度に来るので交流も増え、私は意中の子と意図的に会話の機会を増やしていました。
名前をケイティとしましょう。
ケイティは私よりも2つ上の女の子で背も高く、すらっとした健康的な体と大きな胸、そして青い目がとても綺麗でした。
私は一眼見た時から獲…もとい、お付き合いできればなぁと思い、こちらに興味を振り向いてもらえる様に一生懸命練習をし、試合で活躍しました。
お陰で食事などもする機会も増え、段々とデートを重ねる様になりました。
初めてのキスは映画館の帰り道だったのですが、もう今でも思い出すぐらいにとろけそうになった事を覚えています。
・いざ鎌倉!
私は寒い場所に住んでいましたので、冬はウィンタースポーツが活発です。
友人数人とスキーに行くと言う事で親元を離れてホテルに2泊3日のスキーに行く事にしました。
当然、男女は別々の部屋。
しかも一人一つの部屋を充てがわれたので、私はひょっとして…ウヒウヒと完全に鼻の下が伸び切った猿の状態でスキー場までの道のりを進んでいました。
ケイティと会話もしたのですが、正直別の事で頭がいっぱいで何にも覚えていません(笑)
スキーは楽しかったのですが、もう完全にどうやって合戦を行うかしか考えておらず、せっかくの絶景も殆ど記憶になく、ケイティの笑顔が眩しい事と第三のストックが滑っている途中でも出てきて困った事しか覚えてません。
台無しですね。
夕食も終わるとみんなでカードゲームなどをしながら楽しく遊びました。
親に内緒でお酒もこっそり買ってきている先輩がいたのでみんなで飲んでいると、もうタガの外れた状態になり、抱きついたりキスをするなどが普通になっていました。
私はこれはチャンスと思い、ケイティを上手く自分の部屋に誘い出す事に成功しました。
部屋に入り、鍵をかけると私は夢中で唇を貪る様に奪いました。
ケイティもまんざらでもなかったらしく、舌を入れて私の口を吸い続けます。
・戦いへ…
甘い香りが口や体からするあの状態は一体何なんでしょうか。
潤んだ目という表現はぴったりで、意地悪そうな顔をしながら私の体を触る彼女はいつものケイティではありませんでした。
もう、私の戦艦大和は戦闘準備完了で出撃の時を待っていました。
『隊長!出ましょう!』私の脳内で隊員たちが叫んでいます。
このまま黙っている事はできません。
私は彼女の服を脱がせようとすると、『何、私が欲しいの?』と意地悪に聞いてきました。
『ああ、そそそそーだよー!』と完全にうわずった声の私はとても惨めなジャパニーズボーイだった事でしょう。
しかし彼女は笑顔で私のズボンを下ろして、戦艦大和を口の中に入れました。
『ダダダ、ダメでーす!!!隊長!!』隊員が叫んでいます。
もう完全にコントロール不能状態です。
統制を失った指揮官は間違えて発射ボタンを押してしまい、波動砲が出てしまいました。
イスカンダルもびっくりです。
彼女は全てを飲み混んでくれました。
『これがごっくんと言うやつですか…』私の心はもう訳のわからない快感と感情に押し潰されてしまいそうでした。
残りの波動砲も吸い付くさんとする吸引力は、世が世ならダイソンとして世界のご家庭で活躍した事でしょう。
魂を抜かれるような快感とはこの事かと思いました。
・なん…だと…
若人の底知れぬ性欲は直ぐに体制を戻し、まるで幕之内一歩のデンプシーロールのごとくビクビクとその体制を揺らしていました。
ケイティは15歳とは思えない妖艶な笑顔で服を全て外してベットに上がると『おいで…』と指を私の腕に絡めました。
真っピンクの乳首、シミ一つない美しい体、対戦相手は毛がなく、ヒクヒクと脈動しており、ライトに照らされてヌメっているのが手にとる様にわかりました。
本来ならば、お返しに前戯をすべきだったのでしょう。
ですがそんな余裕もなく、密に誘われる蜂の如くフラフラと彼女の部分に当てがってしまいました。
ふと我に帰り、『しまった、着けなきゃ!』と思い、『ごめん、着けてくるね』と言ったのですが、彼女は私の腰をそのまま自分のところに寄せ、無言で入れてしまいました。
もう訳がわからないとはこの事でした。
全身を痺れる様な快感が襲い掛かりました。
得体の知れない熱い物体が私を全て包み、所々にザラザラとした感覚が亀さんの首をコツコツと叩いていました。
正直一回目であればやばかったと思います。
それでも刺激が強すぎました。
勝手に腰が壊れたオモチャの様にカクカクと動きます。
初めての感覚でした。
しばらくすると私の上に跨り、赤兎馬に乗る呂布の如き体制になりました(もうやめた方がいいですか?こういう描写 笑)。そして腰を動かし始めたのですが、自分で動くよりも強い刺激が私を襲いました。
下半身を見ると、繋がっている部分が丸見えで卑猥な音を立てて泡立っています。
かわいい喘ぎ声にS字にうねる様な腰使いで私は堪えられなくなってしまいました。
『ごめん!抜いて!』そう言ったのに腰を動かし続けています。
子供ながらに、このまま出すのはまずいと思ったのですが、抜く気配がありません。
不安になった私は『このままはマズイよ。抜こう』と言いました。
するとケイティは腰を動かし続けながら顔を私の耳元でに近づけ『飲んでるから大丈夫なの。そのまましよう?』と甘い香りと共に囁きました。
その瞬間でした。
私が白旗を上げたのは…
出すという行為に全ての神経が集中しているかの様でした。
情けない声を出しながら私はケイティの中で果てていました。
とんでもない量が出ていたと思います。
しかし若いとは恐ろしいものです。
私は再び復活し、その後も夜中まで狂った様に彼女に注ぎ続けました。
とんでもない初体験でした。
・それから
私とケイティはその後も関係を続けました。
いつも行為の時は優しくリードしてくれ、私は彼女に夢中でした。
しかしそんな関係も私が15歳の時に帰国しなければならず、終わりを告げました。
最後のベットで抱き合った泣きながらした行為は今でも覚えています。
愛は太平洋を越える事なく、次第に疎遠になり、私は日本の高校で日本人とお付き合いをしました。
彼女も別の恋人と一緒になっていました。
はっきりと言えるのは、彼女との初体験が強烈過ぎた事です。
脳にこびりついた快感はもう離れる事はありません。
日本人の女の子とも行為をしたのですが、彼女に感じた様な快感を得る事はできませんでした。
私はその後、アメリカの大学に再び留学し、白人の女性とお付き合いをする様になりました。
それぐらいケイティとの初体験は強烈でした。
彼女の影を追いかけているのかも知れません。
この話には実は続きがあります。
しかしそれはまたの機会に…