私の青春時代の思い出といえば、やっぱりアレを置いて他にありません。
それはとてつもなく気まずく恥ずかしくも、その後のうれしい体験に結びつくことになったことです。
軽くもったいぶってしまいましたが、この場を借りて勇気の発表を行ってみようかと思います。
実は中学校1年の時に、近所のオバサンにオナニーを見られてしまったのです。
家族の留守中にふと訪ねてきたのが、きっかけだったんですけど、今思うと私以上にオバサンの方が驚いてしまい、後に引けなくなってのかなと回想しています。
それでは幕開けと参りましょうか。
<当時のオナニーのやり方は>
私のオナニーデビューは小6くらい、とはいっても射精までは程遠く、エッチな妄想とフル勃起を楽しむ程度の可愛らしいもの。
その先がまだあるなんて小6にもなって知らなかったんです。
でも我々の時代の小6ぐらいだとこれが普通だったとも思います。
でも中学に上がると、知識が一気に倍増してしまい、日々友人と交わすのはエッチなことの情報交換。
おまんこ、センズリ、中出し、フェラなどなどいろんなことを覚えて言っておりました。
そんな日々のの中で、自宅にまさかのちょっとエッチな写真週刊誌を発見。
父親が密かに隠し持っていたというのはよくある話なのかな。
隠し場所がタンスの上に無造作に置かれているだけという、何ともだらしない隠し方に、現在の私の姿を重ねてみたりして。
遊んでいるときにタンスにもたれ掛った瞬間、バサバサッと週刊誌が落ちてきたんです。
いやいや、ページをめくってないにも関わらず表紙の女優さんからはエロいオーラが溢れかえっており、ドキドキ。
「早くッ」って表情に見えてペラッと捲ってみると、「フーーッ」心臓がバコバコ脈打つくらいのいきなりヘアヌード。
まさに衝撃の瞬間、込み上げてくる股間の感情と早く元に戻さなければという見つかったらヤバイという感情の狭間で苦悩しました。
物音と同時に急ぎ片して部屋へ急ぎかえって、脳裏に焼き付けた女性の裸で悶えていると、ドクンドクンと股間から白い液体が発射、めでたい?初射精です。
<それからのオナニー>
その日を境に、父の部屋に潜りこみ週刊誌を読み漁る毎日。
数十冊単位であったので、日替わり定食の如く、その日の気分でこの週刊誌あの週刊誌とオナネタにしておりました。
手慣れてくると、その一冊を拝借し部屋でゆっくりシコシコ、スコスコ。
ヤリたい盛りの中学生は精子がほっといても溢れてくるのです。
そうしてオナニストが誕生、タダ人の成長というのは罪なもので、より興奮できる材料を探し求めようとしてしまうのでした。
<禁断の母の下着を手に取ってしまった>
日々のオナネタ採取に余念がない私でしたが、イマイチ停滞気味で家族が出払っていた自宅内をウロウロ。
「ちょっと失礼します」と親の寝室に忍び込んだ結果、窓際に洗濯物が干されているではありませんか。
レースのカーテンと同化した感じで外からの光を透過させているということは、そうスケスケパンティの洗濯物です。
年頃の息子がいるせいでしょうか、刺激を与えてはならないとこんなところにコッソリ干していたのです。
しかも家族の洗濯物の中にも母親のパンティが、それは普段使いの普通のパンツ。
このスケスケの目的は一体、まあね母もまだまだ枯れる歳じゃないので父と盛り上がる夜があったのでしょう。
私はおもむろにそのパンティを観察、とにかくすんごいエロスで、週刊誌の比ではありません。
好奇心から魔がさしてしまい、ズボンを脱いでどうしたと思いますか。穿いてしまったのです。
すごく小さいパンティ&スケスケ、中1の成長過程の勃起チンポであろうと収まらないほどのコンパクトパンティ。
でもそれが幸いしてビュッとなってもパンティに精子がつかずに済み事なきを得たのです。
<ついに見られたそのシーンとは>
週刊誌と同じようにパンティオナニーも日課のひとつ、家族が出会払った瞬間を狙ってゴー。
しかしその日はまさかのアクシデントに見舞われるとはだれが予想したでしょうか。
その日はパンティを穿き、パンストもみつけ出し穿き、リビングでエッチにクネクネ動いていました。
何の意味があったのか意味不明な動きですがチンポはとにかくニョキニョキ伸びる、最高に興奮していました。
ここで只ならぬ視線が、ハッと後ろに振り返ると、まさかのお隣のオバサンが口に手を当てて驚きの表情をしていたのです。
手にはおすそ分けの野菜を入れた袋が、多分に呼んでも反応が無いので裏に回ってきてくれたのでしょうが、こんなことになっているなんて。
しかしさすが、一瞬の怯みにも動じることなくオバサンは「イイからイイから」「オバサン、誰にも言わないからね」。
「ねッ年頃だからしょうがないよね」「それにしてもすごいカッコね」「でも汚れちゃうとイケナイから脱っか」とパンストとパンティを脱がせもとに戻すオバサン。
そしてウフッとフェラで抜いてくれるというオマケ付きです。
さらには「もし我慢できなくなったら、ウチにいらっしゃい」と言い帰って行きました。
それから幾度となくオバサン宅へ訪ねて行ったのは言うまでもありません。