自分が始めて自慰行為を知ったのは小学校5年生のころでした。
一人の人間が自慰行為を知る場合というのは情報として知るのが先という方と、体験が先で後から情報で補填される場合と二通りあると思いますが、私は後者のほうでした。
男には精通という身体の変化があり、精通を終えると性に目覚め始めることになるのですが、私の場合は性に目覚める気持ちのほうが早かったらしく、精通する前に自慰行為を体験してしまうことになります。
小学校中学年までは家族とお風呂に入っていた私でしたが、高学年になったころからもう一人で大丈夫だろうと言われ、ひとりで入浴するようになっていました。
毛深い体質だった私はそのころはもうすね毛やアンダーヘアもほわほわと少し生え始めていました。
精通こそまだしていないものの、そういったからだの変化が少し性的な心の成長を早めていたのかもしれません。
いつものように入浴前に洗い場でひとり身体を洗っていた私ですが、おちんちん(以下自分のムスコ)を洗うときになにやら不思議な感じがありました。
なにかスゥッと身が引ける感じでもあれば、なにかほわ~っと幸せになる感じでもあれば・・・。
あの感覚は今も忘れないです。
大人になって日常に行う自慰行為とはまったく違う、未知との遭遇といったスピリチュアルな感覚でした。
これは触れると気持ちよくなるのではないか。
直感的にそう感じました。あれは本能なのでしょうか。
その日は不思議な体験として疑問を感じながらもそのまま入浴を終えました。
その後、日々わたしは自分のムスコと不思議な体験を繰り返しました。
実験とも言えます。
最初はイチモツを揉んでみたり、まさぐってみたりしてみました。
確かな快感があります。
少しさおを捻ってみたりもしました。
これも少し快感があります。
袋のほうはどうでしょうか。
こちらはとくに快感はありません。
玉のほうに至ってはあまりいじると痛みがあるようです。
こんな実験めいたことを繰り返しながら、私は家族へ気づかれることなく自分だけの秘め事を続けていきました。
数日たったある日の入浴。
私は初めての勃起を経験することになります。
今思えば自らを刺激し続けることで身体の成長を早めていたのかもしれません。
精通するべく身体が変化を始めていた・・・そのシグナルでした。
いつものように自分のムスコを弄んでいると、じわりと充血する感じがあり、自分のムスコが直線的に硬くなっていきました。
あの興奮や驚きは自慰の快感に気付いたときよりも大きな衝撃だったと思います。
学校のクラスメートの悪ガキたちが良く「ボッキ!ボッキ!」などと騒ぎまくっている姿は良く目にしていましたが、その子らが言う「ボッキ」というのはその頃の私にとっては何か暗号のようなもので、とても今の自分の状態と合致するものだとは結び付けられませんでした。
しばらくその身体の変化に呆然としていましたが、次第に落ち着きを取り戻し、直感的に自分のムスコを上下にこすり始めていました。
その行為はいままで揉んでみたり、まさぐってみたりしたこととは明らかに違う、もっと尖った、快感だけを身体に送りくんでくるような攻撃的な感触がありました。
夢中で・・・というかそれはもう使命感のような気持ちで、私は自分のムスコをこすり続けました。
お風呂場の風呂イスに座り黙々と。
5分くらいそれが続いたでしょうか。
少しずつ股間周辺に熱いものが集結していき、グググッと自分のムスコの根っこあたりに溜まっていきました。
「うっ!!」
腰骨あたりがゾワッとする感覚と、脳髄からさおの先へ流れ込む快感の粒子。
そう、この時わたしは初めてオーガズムを体験しました。そ
の時わたしは何かとても悪いことをしたような気持ちが生まれ、快感と罪悪感の間、りんごを食べてしまったアダムのような、そんな気持ちになりました。
これは人に話してはいけない。
そう思いました。
記念すべき私の初めてのオーガズムでしたが、私は射精しませんでした。
そうです、わたしは勃起こそできるようになっていましたが、まだ精通はしていなかったのです。
そのせいか、快感と同時に股間にギュッとつまるような苦しさもありました。
あれは精子が無いのに射精をしようとすることでそのような感じになったのだと思います。
ともあれ、幼いわたしは精通よりさきに自慰行為を覚えてしまったのです。
そのことはすべてがわかるようになった今ではちょっとした人生の汚点として心に傷を残しています。
ですが、その自慰行為が私の身体の成長を早めたのは間違いなく、その数日後にはすぐ射精を経験することになりました。
その時もやはり場所はお風呂でした。
白いものがびゅうッと飛んでいき、ものすごい快感と達成感がありました。
そこからは自慰行為がどんなものか自然とまわりの会話や自らの経験からわかっていき、部屋にこもって自分のムスコと戯れるようになりました。
小学生にはいわゆるオカズなどありませんから、洋画のエッチなシーンやバラエティの入浴シーンなどでイメージをふくらませていたと思います。
今思い返してもほろ苦い記憶ですが、青春とはまさにほろ苦いものであり、こういった性の成長というのも自分を形成した大切な青春なのだと思います。
りんごを食べてしまったアダム
という表現に光るセンスを感じました