『トラブルメーカーY家』
あれは今から20年以上も前のことだ。
もう時効だと思うし、ここで吐き出させて欲しい。
当時ヤンチャボウズだった俺は、とある田舎街に住んでいた。
地方にならどこにでもあるような、家と田んぼが延々と続いているような環境の街だ。
そして当時は、今より若い人が多かった。
というより、そもそも人自体が多かった。
だから商店街にも最低限程度の活気はあったし、多くの田畑は管理されていた。
もちろん、自治会もまあ街の体裁を保てる程度には機能していたんだ。
とはいえ、俺のいたエリアの自治会の活動は「とある家族が引き起こすトラブルの対処」がメインになってしまっていた。
その厄介者の家族を、仮にY家としよう。
Y家はシングルマザーの家庭で、臭くてボロくていつ崩壊するかも分からないようなアパートに住んでいる。
家族構成は母親と娘(当時は中学生)、弟(当時は小学生)。
奴らが何をやらかしていたかは身バレが怖いから伏せておくが、まーこいつらが本当にヤバかった。
まず、トラブルを起こさない日がない。
俺の知る限り、一日たりともマジでない。
正月だろうが、お盆だろうが、奴らには何も関係なし。
しかも起こすトラブルがシャレにならない。
ただでさえ店が少ないのに、こいつらのせいで潰れた店が10軒は軽く超える。
しかも社会復帰できない状態にされた奴だって学校のクラスを1つ作れるくらいにはいる。
無論警察だって奴らに下手に手を出せない。
なぜなら奴らは法律を盾にして現場のお巡りさんを”異動させる”という離れ業さえやってのけていたからな。
おっと、本題はこんなことじゃあない。
そんなY家に対し、俺たちは……
『Y家の娘』
そんなY家に対し、俺たちは超法規的な報復をしていた。
平たく言えば、Y家はクソガキやワルどもだけでなく、街ぐるみでぶっ叩かれていた。
街を歩けば絡まれるか、石を投げられるか、手製の矢で射られるか、ゴミを投げられる。
店に入れば出てけと言われ、役所に入ればまともな対応はしてもらえない。
しかし普通の家族なら耐えられないようなこんな仕打ちに、Y家の人間は耐えた。
ただし、Y家の母親は常に大体弟だけを守っていた。
弟が少しでも傷つくと母親はブチキレてよく男子高校生や爺さんたちをボコボコにしていたけれど、娘には何をされても無関心……とまではいかなかったが、それに近い状況ではあった。
だから、Y家のやらかしの責任を取らされていたのは、必然的にほとんど娘であった。
早い話、Y家の女子中学生の娘は比較的安全にぶっ叩くことができたんだ。
もちろん、最初のうちは自治会長や長老たちは俺たちに対しめったなことはするなよと言っていたし、Y家娘のスカートを下ろした奴が出た時には注意もしていた。
でも、Y家との戦争がヒートアップするにつれ歯止めが利かなくなってしまったんだ。
そしてY家の娘が、地域の性に飢えた男どものターゲットになるのはある意味当たり前のことだった。
『女子中学生狩り』
そういう事情もあって、Y家娘の学校からの帰り道は男たちの”狩場”になった。
こういう田舎じゃ、誰が誰と付き合えるか、付き合うべきかなんて大体決まってしまっている。
見えない階級制度のようなものがあるのだ。
だからY家娘は、その意味でのうっぷんもぶつけられることになっていた。
でも、最初は男たちに嬲られ、倒され、下半身を裸にされるくらいのことで済んでいたんだ。
しかしY家とのトラブルがヤバいことになるにつれ、皆この程度のことでは物足りなくなってきた。
くぱぁしたところをケータイで撮ったり、アソコに指を突っ込んでガシガシしてる動画を撮ったりもしていたが、その程度じゃそこらへんのAVと同じということもあったんだろう。
(この時代にSNSがなくて本当に良かった)
最終的には「女塾」というのをやるようになった。
かなり昔のマンガに「男塾」というものがあるが、あれの女バーションみたいなものだ。
男塾の方を知っている方ならもう想像できると思うが、こっちもこっちでまあまあ狂っていた。
とはいえさすがに煮えたぎる油の風呂に入れたり、ギロチンにかけたり、人間で橋を作ったりということまではしなかったが。
しかしロープでグルグル巻きに縛って10人以上のオナホにしたり、裸にして男にプレスさせたり、アソコにハチ(さすがに羽と毒針は抜いてあるが)や青虫を入れたりというアトラクションは人間関係のピラミッドの下層で娯楽といくらでも虐待して良い奴隷に飢えていた男どもの心を少しはスカッとさせた。
これらが何度男たちのオカズになったか分からない。
一方、Y家の娘は抵抗しなかった。
何をしてもどうせ無駄だから感じないようにしている……
今でいうところの学習性無力感ってやつだったんだろう。
これにいい気になった男たちはもっと過激な「遊び」もとい「カリキュラム」も実行したが……そこまではさすがにやめておこう。
そう言わなければならないくらい、普段学校ではダルそうにしてる奴らがこういう時になると目を輝かせて非常に高い創造性を発揮した。
もしかすると街で最も活気があってクリエイティブな場でさえあったかもしれない。
エロが男にとって高級なガソリンであるというのは、紛れもない事実なのだろう。
その後Y家はどうなったかって?
なんとまだ奴らはそこに住んでいる。
しかし当時と異なるのは、周りの状況。
もう周りには荒れて草ボーボーになった耕作放棄地と空き家、シャッターが下りた店ばかりだ。
Y家の近くに住んでいる人もいるにはいるが、大体はY家と争うエネルギーのない高齢者ばかり。
まあもっとも、街自体が高齢化していて、若い人は大体都会に出てしまったし、かくいう自分も(仕事が地元になかったから)都会に出てきたわけなのだが。
だからあの町は、駅前の商店街でさえ数軒を除いて廃業済みという状態になっている。
また今ではY家の娘も弟も引きこもって、障がい者年金とか生活保護で生活しているらしい。
今ではそういうこともあって彼女たちが街の人々とトラブルを起こすということはあまりないようだが(そもそも人がいないから動物や虫と戦ってるみたい)、まあなんというか、街公認の性奴隷がいるような状況というのは結構珍しい方だったんじゃないかなと思う。
それとも街に一人くらいはこういう奴はいるものなのだろうか。
ともあれまあ、昔はいろんな意味でおおらかでおおざっぱだったよなと思う。