『電マを使ってみた』
小学生高学年の頃、腰痛持ちの親の寝室に電気マッサージ機がありました。
小学生の私には必要なかったけど、好奇心で親のいない間に腰や足をブルブル振るわせて遊んでました。
寝ころびながら電マで遊んでいると、なんか股間に当てると気持ちよくなることを発見!
その頃はオナニーなんて存在も知らなかったので、それがその行為になるなんて想像もしてませんでした。
強く押し当てるとなんか、オチンチンが大きくなって気持ちよくなるのが不思議でしたがやめることができませんでした。
『同居の叔母にバレる!』
毎日、暇さえあれば親の寝室で電マを押し当ててたある日、その行為を叔母に見つかってしまいました。
このシチュエーションはAVだと叔母が優しく小学生に性の手ほどきって話になるんですが私は、悪いことをしている自覚も無く、そんな態度だったんで叔母も「あんまりやりすぎない方がいいよ」とだけ
残してその場を去りました。
今思えば意味深な言葉で赤面ものですが当時の私は腰痛の道具だからなかな?ぐらいにしか感じませんでした。
『オナネタ、トーナメント』
電マを押し当てるといやらしい気持ちよさがあると気づいてしまった小学生は、自然のオナネタを学校の女生徒を使うことを覚えました。
何人か、お目当ての女生徒がいたので、誰を想像して電マオナニーするのが気持ちよいか?早く昇天するのか?を競い合うことを考えました。
小学生の頃は、まだ精通も中途半端で精子というよりもカウパー液しか出なかったし、何度も逝くことができたので学校の女生徒オナネタトーナメントも可能でした。
とはいえ、小学生でも聖人タイムは訪れるので、4~5戦くらいでトーナメント終了してました。
それをうっすら気づいていた私は、一番のお気に入りを毎回聖人タイムが訪れる前にオナネタにして昇天してました。
『やっぱりオッパイ』
まだ、インターネットが無い頃なので、女性のヌードはなかなか拝むことができない時代でした。
私のお気に入りは、新聞の広告欄にある、週刊誌の広告でした。
乳首には★マークがついていますがオッパイのふくらみは見ることができる!
当時はそれが最高のズリネタになり得ました。
電マ部屋に新聞を持っていきそれを見ながらの電マオナニーは今まで経験したことがない気持ちよさで病みつき状態です。
運がいいと父親が買った週刊誌が電マ部屋にあり、そこではカラーのオッパイ(★マーク無し!!)
をズリネタにオナニーできました。
『ズリネタ探し』
女生徒、新聞の広告欄、週刊誌とズリネタがより高度になっていくと、もっといいネタを探すようになりました。
週刊誌の情報から、写真集という存在を知り、何とかして写真集を手に入れてオナニーをするのが目標になっていた小学生時代。
中学に進学してもその目標は変わらず、近所の本屋では身バレするので、自転車で20kmほど先のまったく違う学区の本屋に出向き写真集を物色してヌード写真集を購入して目標達成!
しかし、こんなことばかり考えていたので、どんどん現実の女の子とは距離を置くようになり挙句に女の子としゃべることができなくなってしまいました。
初めての自慰行為は知らず知らずに始まった電マオナニーからズリネタ探しに発展して、陰キャの誕生になりました。
でも、大学時代にはその殻も割れ、エッチ大好き陽キャ大学生に生まれ変わりましたが、その話は別の機会に。