『小学5年生の体験』
寒い冬の朝のことだった。
目が覚めると倦怠感と同時に股間が熱い。
昨日からなぜか股間がムズムズしていた記憶が夢心地で蘇った。
ふと股間に手をやると「濡れている。しまった」と思い,お寝小したと完全に勘違いした。
まだ小学5年の私にはこの場面を夢精だと正確に把握するだけの知識と経験がなかった。
『中学2年生の初体験』
その当時我が家は,父親が勤めに出て,母親が雑貨屋さんを営んで生計を立てていた。
片田舎の雑貨屋さんで,豆腐の横に長靴が陳列されているような小さな小さな雑貨屋だ。
ある日,雑貨屋を営んでいる母親が商いの手を広げようとして「雑誌類」を置くことになった。
当時,少年サンデーや少年マガジンなど読み放題で嬉しかったことを覚えている。
ある夜,両親や祖父母が眠りにつくと,前々から気になっていた大人の雑誌を見たくて見たくてしょうがなかった。
とうとうある日,その雑誌に手を出した。
それが私の自慰の歴史の始まりだ!
大人の雑誌も見放題になった私に心身をコントロールすることは不可能だった。
ヌード写真を見ながら自然と布団を股間にはさみ,性器をはさんだ布団に強くあてた。
そして腰を振った。
まだこの時にはこの行為が自慰だという自覚はなく,むしろ大人の雑誌をこっそりとみている罪悪感が勝って,「気持ちいい」という段階で終わっていた。
そのような日々が何日も何日も続いた。
そしてある日,新しい世界が開かれた。
寸止めではなく「果てる」世界を見た。
今までは性器を布団に強く押し付けることはあっても,腰は出る寸前に止めることができた。
しかしこの日は止めることができない。
性器を布団に充てる力もいつもより強く,またいつもより腰を強く早く振った。
そのうちにおしっこが出てしまうと思ったが,それでも止めることができない。
そしておしっこが出てしまった。
「しまった」と思いながら出るおしっこを止めよう,止めようと努力した。
この時もまだこれが自慰行為だとは知らず,おしっこをちびったくらいに思っていた。
その一方で,5年生の時の淡くて遠い記憶が脳裏をかすめた。
『初体験,その後』
自分の体験した行為が自慰であるかどうかは大きな問題ではない。
寸止めだった行為が果てる行為に進展したことが重要で,「気持ちいい」から「満足した」という気持ちに変わったことだ。
それからは歯止めが利かず,毎日のように自慰行為に耽った。
高校生になって友人たちとエッチな話をして,自分のやっている行為が「自慰」だと初めて知った。
腰が怠いという実感はあったが,他に頭が悪くなるとか精子の濃度が薄くなるという知識を得て,今度は「満足した」が罪悪感に変わった。
中学生の時は雑誌を見ながら行為に及んだが,その頃は好きな女の子の裸の姿を思い浮かべながら行為に耽った。
そのたびに罪悪感に襲われ,「今日はしない」と決めてベッドに入ったが無駄な徒労であった。
ますます罪悪感が積もり積もってくる。
『学生時代』
保健体育の教師を目指して大学へ進学した。
今までは友人や雑誌の情報だけで判断していたが,科学的な根拠を学ぶことができた。
やっと罪悪感という呪縛から解放されて,むしろ人間の自然な営みであることを知るに至った。