<すぐに腰がひけていた>
中学二年生の頃だっただろうか。
思春期真っ只中である。
心と体のバランスが全く崩れていた。
常に隠微な想像を膨らませて、なおかつ股間も膨らませて、その変化を人に悟られまいとして恐々としていた。
頭の中の国語辞典ならば、性交、自慰、乳房、陰毛などが次から次に浮かんできて、思わず腰が引けてしまっていた。
<職員室の乳房>
しかし大人の前だけでは品行方正の優等生だった。
勿論、学級委員には常に選ばれていた。
そのため、職員室に行く機会も多かった。
担任のおばあちゃん先生の所にいくと、必ず隣りの席のグラマラスな音楽の女の先生が学生服のポケットの蓋(何ていうのだろう)を腕を伸ばして直してくれる。
いつも遠い方のポケットを直してくれる時に先生の柔らかい胸(乳房だ!)が背中に当たる。
それも右肩甲骨の下の出っ張りに擦りつけるように移動する。
最後はぽよんと豊満な胸が熱くはじけるようだった。
それの感触が夢心地で、何も知らない遠い世界に急に連れていかれるようだった。
だから、職員室に行く前は両のポケットをだらしなくしておくことを忘れなかった。
そして隣りの音楽の先生が離席していれば、どんなにがっかりしたことか。
あの熱い胸のふくらみに出会えないなんて、その豊かな感触を味わえないなんてと失意のどん底の想いだった。
まあ、健康な男子中学生だったわけだ。
<精通そしてめくるめく夢精>
身体の方も至って健康で、朝方夢に女の人が突然出てくることがあった。
それも何も身にまとわずに全裸で現れた。
それもあの音楽の先生だったり、隣近所のおばさんなど知り合いだったりすると夢の中とはいえ、赤面するくらい恥ずかしかった。
後で実際に会ったりするともっと恥ずかしかった。
でも、その胸や唇などに気が行ってしまっていた。
そして夢の中では本当に指先一本だけで果てた。
自分の指でも、女の人の指でも触れた瞬間、せき止められていたものがどどっと出ていった。
すると、その当時は果てると100メートルの全力疾走並み並みの体力を使うといわれていた。
すると、心地よい疲れでそのまま、寝てしまい、翌朝風呂場でパンツを洗った。
<だったら、どうやるの?>
優等生だったので、そういった性的な情報をたくさん持っている悪ガキたちとの交流はなかった。
だからなのかもしれない。
僕の「自慰」は少し変わったものだった。
この「自慰」を「手淫」とも言うが、私の場合は最初から最後まで手を触れることはなかった。
だったら、いったいどうやるんだ!と言われそうだが、とてもアクロバティックな「自慰」だった。
創造たくましくして、天まで突くほどになった屹立した我が息子を何故だかこんな風に処置するのだ。
まず、大きくなったモノを玉もろとも両太腿で挟む。
いきり立ったそのモノを無理やりグッと窮屈にも股の間に押し込む。
逆向きになったモノを、オシッコを我慢する時ように両膝を擦り合わせて、両太腿で圧迫摩擦する。
これをしばらく繰り返す。
失礼にも音楽の先生だったり、お隣のきれいなおばさんたちを頭に描きながら、本当に気持ちよく果てた。
最初はこれが最高の「自慰」だった。
<落ち着くところに>
しかし、しばらくして、あちらこちらから情報が入ってくると、なんか変と気付いた。
それから、布団の上でバタバタする作業から、エロ本広げて、机の前でする普通の「手淫」落ち着いた。
我が青春のひとコマである。