毎朝、手首と足首の手錠の重さで目を覚まします。
その手錠は厚さ2センチ程もある頑丈なもので、決して自分では外すことができません。
手錠の先にはさらに頑丈な鎖がついていて、それぞれベッドの四隅にある鉄の棒に括りつけられて、私の手足をベッドの上で大の字に広げていました。
【新しいお父様】
私がこのような生活になったのは、父が事業に失敗して銀行への借金返済のために闇金に手を出したことが原因でした。
その時、私はまだ小学校を卒業し中学生になったばかりの頃でした。
家に帰ると母はおらず、代わりに黒服の男達が何人も父を取り囲むようにして立っていました。
「ただいま」を言う間もなく玄関で立ち尽くしていると、男達は私に気づき執拗に眺めて、「5年だな」と言って私の体を担ぎ上げました。
そのまま車に乗せられしまいましたが、父はただ体を折り曲げてむせび泣くばかりでした。
セーラー服のまま車で連れていかれたのは、どこかの大きなお屋敷でした。
車から降ろされて大きな玄関の中に入ると、そこには人の好さそうな初老の男性が笑顔で立っていました。
「やあ、お嬢ちゃん、いらっしゃい」
男性の笑顔は優しげでしたが、なぜか怖さで身が竦みました。
【契約期間は5年】
男達は男性に私を渡し、大きなスーツケースを受け取ると、中身を確かめて去って行きました。
スーツケースを開けた時に見えたのはたくさんの札束でした。
父が借金のことで母と言い争う姿をよく見ていたので、漠然とですが、私は父の借金のためにここに連れて来られたのだな、とわかりました。
「5年間、私を父親だと思いなさい。一緒に暮らそう」
5年・・・。
長いなと思いましたが、父の姿を思い出すと諦めが心を支配しました。
【お父様と呼ばされて快楽を体に覚え込まされた】
その日から、私は男性を『お父様』と呼び、寝食をともにしました。
最初の数日間は、緊張しながらも普通に生活をしました。
使用人らしき男女が何人かいて、世話をしてくれました。
気持ちが徐々にほぐれてゆく。
そんな頃から、お父様との食事の時に必ず飲まされるジュースがありました。
それを飲むと、体がとても敏感になって、衣服が擦れるだけで息が荒くなり興奮します。
それだけならまだ我慢できるのですが、女性の使用人に部屋に連れて行かれると、下着だけにされて、乳首とクリに丹念に軟膏を塗り込まれました。
そして下だけ脱がされて皮でできた貞操帯をつけられます。
薬のせいでジンジンと感じるために私は乳首をいじるのですが、貞操帯のために一番触れたいところに触ることは許されませんでした。
それから三食毎にジュースを飲まされ、そのあと軟膏を塗られて貞操帯をつけられます。
あのジュースは飲む媚薬。
そして軟膏は塗る媚薬。
両方の媚薬に体は極限まで敏感にさせられて、私はもう身動きするのも辛くなっていました。
(辛い・・・触りたい・・・)
私は我慢できなくなって、お父様の部屋に行きました。
そして、貞操帯を外してほしいとお願いしました。
するとお父様は私の服と下着を脱がせて、やっと貞操帯を外してくれました。
そのあと指でクリや乳首をいじられると、今まで我慢させられていたのもあって、何度も指だけでイッてしまいました。
【自慰を許されないまま過ごした5年間 そして・・・】
お父様は私を抱くことはしませんでした。
それどころか膣の中の指を入れることもしませんでした。
ただ、媚薬で高めた体を指と舌でいじるだけ。
そう性癖の人なのでしょう。
私は学校に行かされませんでした。
家庭教師をつけられて、屋敷内で勉強させられていました。
勉強中も貞操帯をつけられます。
寝る時は貞操帯を外してもらえますが、手足を大の字に拘束されました
お父様はまるで果実にむしゃぶりつくように私の体を舐め、指や手でいじり回りました。
媚薬のせいだとわかっていても、感じるのは止めようがありません。
また湧き上がる快楽を止めようとも思いませんでした。
【お仕置でさえ快楽】
お父様は勉強にはとても厳しい人でした。
家庭教師に与えられた課題をこなせないとお仕置をされます。
でも、媚薬のせいで敏感になった体に擦れる衣服が勉強の邪魔をして、課題どころかただイクことばかりで頭がいっぱいになってしまうのです。
お父様は、そんな私の状態をわかっていながらお仕置をします。
吸引式の小さなカプセルを敏感になった乳首とクリにあてが吸引しました。
カプセルの上部にはブラシのようなものがついていて、吸引された乳首とクリにチクチクと刺さります。
それは言葉では言い表せない快感で、体はベッドの上で大の字にされているのに腰が自然と浮いてきて、エッチな声はいつまでも止まりませんでした。
やがて5年が過ぎようとした時、私はお父様にお願いしました。
ずっとここに置いてください。
ずっとお父様の傍に居たいと。
もっともっとお父様に触れられたい。
イカされたい。
「お願いします、お父様」
快楽の虜になってしまった私の選択でした。