『自慰行為って気持ちいい』
自慰行為って気持ちいい。
そう初めて体感したのは、高校受験前のことです。
それまで何度となく夢精をくり返していて、夜な夜なパンツを濡らす白い液体の正体を知りたかった僕は、受験勉強の合間をぬって、自分のおちんちんを盛んに愛撫しました。
はぁはぁはぁ。
ああっ。
僕の肉体がクライマックスを迎えると、ピュッピュとはじけ飛んだ精液。
なんて気持ちいいんだと感激した僕は、すぐさま自慰行為にはまり、自分のてのひらをベトベトにしながら、自分のあそこを触りまくりました。
受験生なのに何をやっているんだろうと思った僕は、自己嫌悪に陥ることもありましたが、もはや止めることはできませんでした。
やがてもっと激しい刺激を求めるようになった僕は、エッチな雑誌を見まくったり、同じクラスの女子の裸体を想像したりして、毎晩のように自慰行為にふけりました。
その頃は両親と一緒に暮らしていたので、これはばれたらまずいと思い、やたらこそこそしながらの自慰行為でしたが、おちんちんが、こんなに悦びを与えてくれるなんて、僕は嬉しくてどうしようもありませんでした。
『普通の自慰行為ではつまらない』
高校から大学へ、大学から社会人になるに従って、僕の自慰行為は変態性を帯びるようになりました。
彼女らしい彼女もいなかった僕は、自慰行為を通じて「自分で自分を犯す」ようになっていったのです。
ストレートにいうと、僕をとりこにさせたのは女装です。
僕は女子の格好をして、自分のスカートに手を入れ、パンティーの奥をまさぐりながら、自らの指でエッチな行為に没頭するようになっていきました。
女子の服は、主に古着ショップで買いましたが、実際にどこかの女子が身につけていた服だと思うと、僕は心の底から興奮しました。
「あーん、だめよ。だめだめ」。
ときには興奮のあまり、声をあげるようにまでなった僕の自慰行為は、ますますエスカレートしていきました。
ついにはネット通販を利用して、ドスケベな下着や怪しげなバイブレーションまで買い求めるようになり、それこそ寝る間も惜しんで自慰行為を続けました。
休みの日は、日に何回も自慰行為にふけり、僕の体は完全に疲れきっていました。
ある朝、洗面所で鏡を見た僕の目の下には、ドス黒いくまができていたのを思い出します。
『女装と自慰行為のダブル快感』
たとえくまができても、僕にとって女装と自慰行為のふたつは、もはや切り離すことのできない存在になってしまいました。
セーラー服を着て自慰行為をしてみたいと思うようになったり、ウェディングドレスを着て誰かに犯される場面を想像してみたり、僕はやたらおかしなことばかり考えるようになりました。
ある日、僕はとうとうがまんできなくなって、上から下まで女子の格好をして、夜の街をさまよったことがあります。
そのときは男性に声をかけられたらどうしようと思いながら(半分期待しながら?)、ミニスカートをひらひらさせて歩いていましたが、あまりにも興奮しすぎたせいでしょう。
僕は不覚にも街の中で射精をしてしまいました。
ただ歩いているだけで射精をするなんて、そんな体験はあとにも先にもその一回だけです。
そのときたまたま僕の近くを通りかかった2人の男性が、僕に「ねぇ飲みに行かない?」と声をかけてきて、僕は自分が女子に見られていることが嬉しくて、つい「うん行く」といい、ついて行きそうになりました。
買ったばかりの女物の下着には精液がベトつき、僕は早くアパートに帰って、シャワー浴びなければと考えていた矢先のできごとでしたが、あのとき本当について行ったら、僕はどうなっていたのでしょう。
『いつかは男性に抱かれたい』
その後の僕は今も普通にサラリーマン生活を送っていますが、いつかは男性に抱かれたいかも‥‥と考えています。
自慰行為の域を飛び出して、本当に誰か素敵な男性に抱かれたい、愛されたいと思うことが多くなってきたのです。
もちろん、いまだに想像の世界でしかありませんが、生まれて初めての自慰行為がきっかけとなり、自ら女装した自分の体を辱め、いつかは本物の女性になって、誰かに犯されたいと思うようになった僕。
リアルな女性とのセックスは、残念ながらまだまだ未熟ですが、性別を超えて男性とも交わりたいという思いは、日に日に強くなってきました。
僕は今も独身で、いつかは誰かと結婚する可能性は残っていますが、先のことなんてどうなるかわかりません。
もしかすると、10代の頃の自慰行為が引き金になり、いつかは本当の女性になって、男性と結ばれることもあるんじゃないかと、悩ましい思いに駆られています。
自慰行為なんて、しょせんは自分で自分のことを慰める行為にすぎないわけですし、なりたい自分を夢見て、自分自身の将来に希望を持つこと、それこそが本当の意味での自慰行為なのかもしれないと僕は思っています。
誰もが一度は通る自慰行為。
きっとそれは人生を見つめ直す、ひとつの大きなきっかけなのかなとも思います。