父と母を交通事故で一度に亡くして東京に住む叔父の家に引き取られたのは私がまだ小学4年生の時でした。
父の弟だということでしたが、それまで一度も会ったことがありませんでした。
「いい人だから」と親戚の人に連れてこられた叔父の家。
そこで独身の叔父と2人で暮らすことになりましたが、その日から私は叔父の性の玩具になったのでした。
■無口な叔父
叔父は一見して変わった人だとわかりました。
緊張して挨拶をした私に叔父は何も答えてはくれませんでした。
ただ、私の小さな体を嘗め回すように上から下まで眺めているだけ。
私は本能的に『この人は嫌だ』と思って親戚の人の手を握り締めていましたが、「転校や住民票の手続きはこっちがしておくから」ということで、無下に手を振り払われて置いて行かれてしまいました。
この叔父以外、誰も私を引き取ってくれる人はいなかったのです。
叔父はフリーのライターとして生計を立てていました。
職業柄とても無口で、ずっと自分の仕事部屋に閉じこもっていました。
私は居間に残され、ただじっとしていました。
祖父が遺した実家だったので、まだ畳ばかりの古い家。
ここに父も住んでいたのかと思うと、自然に涙が出てきました。ひとり声を殺して泣いていると、叔父が姿を見せました。
慰めてくれるのだろうと思っていたら、無言のまま菓子パンをひとつ手渡しました。
そしてまた仕事部屋に戻っていきました。
外は薄暗くなっていました。これが私の夕飯なのでしょう。
私は涙を流しながらそれを頬張りました。
■叔父の部屋に連れていかれて
菓子パンを食べてから、どれくらいの時間が経ったのか。私はいつの間にか泣きつかれて畳の上に寝転がって眠っていました。
そばで人の気配がして目を覚ますと、叔父が電気もつけない暗い中で私を見下ろしていました。
私は声を出さずに寝たふりをしました。
すると叔父は私の胸やアソコを触りだしたのです。
これでは寝たふりをしている余裕はありません。
身をよじって叔父の手から逃れようとすると、叔父は寝たふりをしようとした私に腹を立てたのか、頬を1発叩いて、そのまま手首を掴まれて叔父の仕事部屋に連れていかれました。
叔父の部屋はオレンジ色の蛍光灯だけつけられた暗い感じの部屋でした。
私は叔父の前に立たされて、しばらくどうしていいかわからずに怯えていました。
やがて叔父は男性にしては細い声で私に言いました。
「今日から一緒に暮らすんだから、叔父さんの言うことは聞かないといけないよ」
感情のこもらない淡々とした冷たい声に私は頷くしかありませんでした。
そして叔父はさらに言いました。
「叔父さんの言うことを聞かなかったらすぐに追い出すからね」
ここを追い出されたら行くところはありません。
私がまた頷くと、叔父は初めて笑顔を見せて、「じゃあ、パンツを脱いで叔父さんにお尻を見せて」と言いました。
私に逆らうことはできませんでした。
ためらいがちにスカートをまくり上げてパンツに手を掛けました。
■アナルだけに固執する叔父
その日から叔父によるアナル拡張は始まりました。
私はパンツを脱ぐと、叔父にお尻を向けて四つん這いにさせられました。
叔父はじっとその姿を見つめていました。
私は恥ずかしさと怖さで膝がガクガク震えていました。
しばらくすると、叔父は私のアナルに指を一本だけ差し入れてきました。
唾液で湿らせたのか、滑るようにツプリと入ってきました。
叔父は指を根元まで差し込むと一度引き抜いて、また根元まで差し込みました。
痛くて気落ち悪くて腰を引こうとすると、お尻をパシンと叩かれます。
私が腰を引くのをやめると、叔父は無言で同じ行為を続けました。
それは指が3本入るまで続けられました。
■毎日続くアナル拡張、どこまで広がるのか
叔父は夜ごと私を仕事部屋に連れて行きました。
最初は指だけだったのに、だんだんエスカレートしてきて、いろんなものを私のアナルに入れ始めました。
指から道具に移った時から、私の両腕は縛られるようになっていました。
些細な抵抗も嫌がる神経質な叔父でしたから、背中に回した腕を紐で強く縛られました。
何本ものグロテスクなバイブ、アナルパール……。
時間をかけてアナルは拡張されてゆき、やがてはアナルが閉じられないように、アナル栓を差し込まれたまま学校に行かされました。
そして家に帰るとまた拡張が始まります。
一番怖かったのはいくつもの大小の玉を何個も入れられたことでした。
子供のこぶしほどある大きな玉を何個も入れられて、自分でひねり出せと命令されました。
玉が大き過ぎて力を込めていきまないと出てきません。
ひとつ出すのに10分近くかかるのに、それが何個も入っているのです。
なのに時間がかかりすぎだとお尻を叩かれます。
排泄感はあるのに出ない。
お尻が真っ赤になるまで叩かれてやっと全部出し切った時には、体中汗まみれになってぐったりとしていました。
■とうとう叔父の手がアナルに入ってきて
叔父はアナル以外には興味はないようでした。
だから、私の性器には触れず、自身を挿入しようともせずにひたすら私のアナルだけを犯し続けました。
アナルの拡張がだいぶん進んだ中学2年生のある日、叔父は私の腕だけでなく足も開脚して縛りつけました。
これまでより酷いことをされるんだと本能的に察した私は、「ごめんなさい、ごめんなさい、しないでください」とひたすら許しを乞いました。
でもすぐに罰を与えるためにお尻を叩かれました。
叔父は自分の手にローションをかけると、私のアナルに指を1本づつ差し入れてきました。
拡張され緩くなっていた私のアナルは最初のうちこそ無理なく受け入れていましたが、5本目になり、そのまま掌まで押し込まれると、痛さに息が詰まりました。
音が実際に聞こえたわけではありませんが、メリメリと裂けるような感覚があり、私は悲鳴を上げていました。
でも叔父はそれだけでは許してくれず、さらにもう片方の手も入れてこようとしました。
指が増えていく、そのうちに痛さと恐怖心で気を失っていました。
目が覚めると、私は布団に寝かされていましたが、いつものようにアナル栓は差し込まれていました。
今までよりもさらに大きなアナル栓。
叔父はまだまだ拡張をやめる気はないのだと悟りました。
■結婚しても続けられる拡張飼育
やがて、叔父の紹介でひとりの男性と結婚しましたが、夫も叔父と同じ性癖の持ち主でした。
夫が会社に行っている間は叔父に拡張され、夜は夫に拡張されます。
ずっと飼育されているような状態です。
いつまでこの状態が続くのか。
私はもう考えることすら諦めました。