男性が大人になる過程で必ず訪れるのが精通というもの、朝起きた時思いもよらない形で射精していたり、もしくは勃起から思わぬ刺激が加わったことで射精するなんていろいろなパターンがあります。
至って健全な証拠で成長しているということです(初めは恐怖すら感じることも多いようです)。
そしてその後の男子の姿と言えば、日々の欠かせないものとしてオナニーいわゆる自慰行為に勤しむことになります。
ただ射精したことがきっかけではなく、もちろん性に目覚めたことがきっかけというのが根底にはあり、精通したからと言ってオナニーが常習化するというわけではありません。
そんな男性のオナニーのきっかけとなりやすいのが思春期の時に身近にいる大人の女性、そう学校の先生です。
よくできているなあと思うのが、必ず学校の中にはアイドル的先生がいたりお色気系の先生がいたり、はたまた性的な感性を刺激してくる先生などがいるところです。
私もこういった先生方を思い浮かべ毎夜の如くオナニーで快感を貪ったクチ、その模様を少しばかり伝えたいと思うのでお付き合いください。
「始めのころ」
オナニーといってもいくつかの段階が存在すると思います。
エッチな妄想やシーンを思い出して勃起させるだけで満足するというもの、射精するという概念がないころはこういったことが中心となります。
私の場合は小学生の時存分にそういったことで楽しんでいました。
寝る前に布団の中で学校のフェロモンムンムンのお色気先生のスカートの裾からキャミソールがチラッとしていたこと、からかった時に「○○くん」と言って捕まえられた時の柔らかい感触、遠足の時などジャージからみえるブリンとしたお尻のラインなどを思い起こして、うつぶせになり勃起の感触に浸ります。
時には先生とのイケナイ妄想をして同様のことを行うのです。
妄想内容は子供らしいもので、放課後の教室内で鬼ごっこのどさくさに紛れてわざと抱き着いてみたり、先生とのマンツーマンでの水泳の授業が行われたあと更衣室で抱き合うといった感じです。
大人になった現在では、当時の私の妄想は可愛らしくも男のエロへの理想をしっかり捉えていたと感じ、しっかりスケベだったのだなあと感慨深くなります。
「ついにその時を迎えることに」
そういった勃起だけで満足してしまうオナニーの第一段階から、射精を伴う立派なオナニーに達するまでには時間はそうかからないものです。
成長期の人の成長とは時間の流れを凌駕するくらいなのかもしれません。
私自身、初射精は中学校の1年の夏、そろそろ下の毛が生えそろい始めたころのことです。
中学になった私の中では、小学生のころのお色気先生は妄想の中での絶対エース、いくら思い描いても飽きることは全くありませんでした。
むしろかなりの上玉だったのだなと、数十年が経った今だからこそ思ってしまいます。
しかし残念なことに初射精の時に想像していた先生は違ってしまうのです。
それは中学生になってから出会った先生、理科の授業を受け持ってくれていた先生でYと言います。
それなりに男性には堪らない30前後の年齢でしたが特別美人というわけでもなくタイプというわけでもありませんでした。
でもエロというものは突然目の前に訪れてしまうというものです。
それは理科の実験中、Y先生に質問したところ私のもとに駆け寄ってきてくれ対応してくれました。
実験内容でお手本を示そうと先生は私のすぐ横でしゃがんでやり方を説明してくれます。
ただ私の視線は実験どころではなく先生のスカートの中に、しゃがんだ先生のスカートの中が丸見え状態ではありませんか。
しかも教育者とは思えないレースのスケスケ、パンストを穿いているとはいえ黒いモノがチラついています。
その時のことを思い起こし布団の中で夢中になっていたところ、ググッといつもと違う感覚が股間に走ります。
その瞬間、お風呂に入った時のような温かさがパンツの中に広がり朦朧となりました。
「その後の後始末は」
しばらく朦朧とした状態で快感の余韻に浸っていると、「ハッ」と急に我に返りパンツの中を確認、精子独特のあの香りが鼻を突きぬけます。
思わず「ウッ」となってしまったのを覚えています。
そしてパンツの中には白い液体が散乱、正直何が起こったのかわからず夢中で拭き取りました。
ただ精子の粘度と浸透力はかなり強く、パンツにデッカイシミを作りさらにはパジャマにもそのシミが広がってしまいアタフタ、そのまま洗濯機の奥深くに仕舞い込みました。
パジャマを洗うことは珍しくないのですがパンツまで入っていたことから、もしかすると母は何か感づいていたのかもしれませんが、特にそのことについては触れなかったです。
「それからというもの」
オナニーには射精が付き物ということを理解するには少々時間が必要でした。
なので初射精以降も勃起だけの楽しみをしばらく続けていました。
射精を楽しむようになったのはそれから一年ほど経ってからです。