『幸せで裕福な家庭?』
俺は友達からよく「ボンボン」と呼ばれていた。
事実、実家はお金持ち……とまではいかずとも、中の上くらいのレベルだったと思う。
家は大きな新築のもので、当時としてはかなりモダンなもの。
車は高級外車……とまではいかないが、ワゴンタイプのファミリーカー。
しかも家の庭には美しい花が絶えることはなかった。
外から見れば、とても丁寧でそれなりに裕福な暮らしをしている家庭だったと思う。
遊びに来た友達には「お前の母ちゃんきれいじゃねーか」「ウチでアップルパイとか作るんだスゲー!」だなんて羨ましがられたっけ。
でも、この家には裏の顔があった。
『母親は魔女』
実は、俺の母は魔女だ。
いや、別に俺の頭がおかしくなったわけでも、からかっているわけでもない。
もう少し具体的に言えば、現実にいる魔女とは魔女宗という宗教(のようなもの?)に従って生きる人たちのこと。
もちろん変な儀式みたいなことはするし、魔女とセットのイメージが強い大釜やホウキなんかも使うけれど、ゲームやアニメの魔女たちがやるように炎を出したり、雷を呼び出したりということはしない。
だが草花や石を使ってお守りっぽいものを作ったり、おまじないっぽいことはやったりする。
本人いわく、自然に感謝し、自らを律し、自由に自分らしく生きることが魔女のあるべき姿だと言っているが……とんでもない。
俺から見れば、母は魔術に振り回されているように見えた。
確かに、家が今もますます繁栄して経済的に困っていないのは母の呪文か何かのおかげもあるのだろう。
また俺は生まれてから大人になるまで、大きなトラブルというものを経験してこなかった。
他のように死にかけたということもなければ、いじめられたりケンカしたりということもなし。
例え変な奴が俺の隣の席になったりしても、そういう奴は不思議と俺に絡んでくることはなかった。
その点では、ちょっとつまらないとは思うが母には感謝している。
一方で、母は現実を自分でコントロールできるし、うまくすべきだという考えに囚われていた。
それは昨今流行りの「努力をすれば現実は変えられる」という考えに少し似ているかもしれない。
まあ、結果を出している以上母が魔女として優れていることは確かなのだろう……たぶん。
しかし能力があったとしても、全ての現実を自分の思い通りにしようとすることは不健康なことなのだと俺は思う。
……理由はあまりうまく説明できない。
しかしそれには誰かの理想に近づけば近づくほど、誰かの理想からは遠くなり、誰かを傷つけることになるということに大きく関係しているように思う。
つまるところ母の理想は俺や、他の人たちの理想とは限らないということだ。
『とってもピュアな大学生』
と前置きがとても長くなってしまったが、こんな環境にいたため、俺は性に関しても母親の”加護”を受けることになった。
しかし言うまでもなく、女の「性に関する理想」と男の「性に関する理想」とはまったく違うもので。
もう少し具体的に言えば、俺はたぶん「俺が成人(当時は20歳)したら、自然といい感じの女の子に惚れるようになる」「俺はその女の子と真摯にピュアな付き合いをして、結婚する」「結婚したら子供を作って幸せな家庭を作る」とでもいうような「呪い」を受けていたのだと思う。
実際、20歳になるまで女の子の友達はできても、彼女ができることはなかった。
一方で20歳になった途端、自分でも不思議なくらいあっという間に彼女ができた。
だが母の誤算は、そのように育った男が現実の恋愛でどうなるか想像できなかったことだ。
当時大学生だった俺は、彼女を”とってもピュアに”愛していたのだが……これが彼女どころか周りの女たちにも不評だった。
一言で言えば幼すぎる、と。
しかし今考えれば当たり前のことである。
恋愛経験がまったくないまま歳を重ねても、恋愛が自然に上手になるなんてことはない。
魔法のせいか呪いのせいか彼女はそれでも俺を愛してくれていたが、この事実は若い俺を悩ませた。
周りの男たちは小中高と恋愛と別れを繰り返し、ディープなこともして、歳相応に経験値を積んでから「大学生としての恋愛」に臨んでいたのだ。
一方で俺には何かあっただろうか?
いや、ない。
小学生や中学生なら恋愛下手でも「年相応で青いねぇ、かわいいねぇ」で済むこともあるが、身体的にも法的にも成人であるこの身でそんなことになるわけもなし。
しかも悩みに悩んだ俺は、またまた未熟な行動に走ることになった。
『実験のような自慰』
それは恋愛テクニックやら自己啓発本やらを書店や図書館で読み漁ることだった。
今思えば、失敗を繰り返しつつも生身の彼女に向き合った方が良かったのかもしれない。
だが、時間は巻き戻せない。
さらにおバカなことに、エッチのテクニックや女の人のマスターベーションに関する情報をネットで勉強したりもした。
いや完全に方向性が違う。
過去の俺は完全に距離感という奴がおかしかった。
そして俺の人生初めてのマスターベーションもそうやって苦しんでいた時のことだった。
ネットで出たようにちゃんと洗った右手で優しくナニを握り、それを上下にシコシコやったら精液がピュッピュと出た。
……特に感動はなかった。
というより、理科の実験と同じような感覚だったように思う。
教科書にあることをやってみた、ちゃんと再現できましたね、おわり、というような。
むしろ、男子のほとんどが小学校~中学校のうちに初マスターベーションを体験するということに感情を動かされたかもしれない。
ああ、俺は母親の理想の檻の影響でこんなにも周りから遅れを取ることになったのだな、と。
なお、精液があそこまで匂いが強いとは思わなかったので、母親には秒でバレた。
何で精油やらお香やらそういうのを毎日のように使ってるのに目ざとく気付くんですかね……
その時は何も言われなかったが、次の日の夕飯がお赤飯になった。
ちなみに、その時の彼女とは結局別れた。
別に彼女に何か問題があったわけじゃあない。
むしろ「けものフレンズ」に出てくるサーバルちゃんのような、明るくてとても良い子だった。
何なら人生の全期間で見てもトップクラスの子であったことは間違いない。
しかしこんな子を俺が拘束してはいけないと思った。
こういう子にはもっとふさわしい男がいると思ったから、彼女のためにはその方がいいと思ったから別れたのだ。
まーその結果今のゴリラみてーなカミさんと……おっと、ヴィーナスのような素晴らしい姫君と出会えたわけだが。
彼女のおかげで「遅れは(手遅れでなければ)取り戻せる」、「誰と恋仲になるかより、どういう恋を展開させるかの方が大事」「人生、正解を選ぶより、選んだ方を正解にする方が大切」などのことを学ぶことができた。
だから俺は、目の前に「誰でも雑に素晴らしい魔法を行使できる杖」があったとしても使わないと思う。
……たぶん。