私にはとても人には言えない過去があります。
その時はそれが自分にとってベストなことで、その事が正しいと思っていたので、全てを心の底から受けれて生活をしていました。
その後、段々と体も心の精神も成長していくうちに、これはちょっと違うのかな?と様々な矛盾点を感じてきたので、その生活から離れる決意をしたのです。
最初はその生活を辞めるのには多少の不安感がありました。
現在は完全にあの頃の生活は思い出となりました。
そんな今だから当時を冷静に振り返りたいと思います。
○1.その人は私の大学の准教授でした。
私は生まれ育った愛媛県から埼玉県内にある大学へ入学したので、高校卒業後に生まれて初めての1人暮らしをしたのです。
当初は学校が持っている、僅かな女性専門の寮へ入る予定でしたが、定員オーバーで寮には入れなかったので、キャンパスから歩いて行ける範囲の場所でワンルームのマンションを決めました。
引越しには両親が来てくれたものの、共働き家庭なので、その後は1人で学業をアルバイトを頑張らないといけないので、1年間は精一杯ただ単に生活をしていました。
大学も2年となると、アルバイト先の友人にも出来て、サークルにも所属していたので、結構楽しめる余裕も出来てきました。
そんな中、ゼミで出会ったのは、私の離れた兄と同じ年の准教授でした。
准教授のTさんは、一見神経質そうですが、話をすると色々な事をストレートに表現するので、私は嫌いなタイプの男性ではありませんでしたが、あまりに露骨にものを言うので、女子人気はあまり無かった様に感じていました。
ある日、Tさんに専門分野の本をお借りすることになり、Tさんの本のお陰で私は3年に上れたと言っても過言ではありませんでした。
本をきっかけにTさんとは親しくなり、二人で食事をする関係になっていきました。
恥ずかしい話し、私は20歳にしても男性経験が無かったので、いつしかTさんの事を男性として見るようになりました。
Tさんも私を女性として意識してくれていたのか?二人で食事をした後に、私の事をTさんに部屋へ来るように誘ってきたのです。
そんな日が近いと思っていたので、その日はお酒の力も借りて、Tさんのマンションへ行きました。
部屋に入って感じた事は、とにかく物は少なくて、ベット、本だね、机、テーブル、キッチンには冷蔵庫がぽつんとあるだけでした。
最初は二人でコーヒーを飲んでいましたが、その日の晩に私ははじめて男性を知りました。
とても痛かったですが、男性の肌を生まれて初めてリアルに感じたので、その日はTさんの肌の余韻を感じて、朝まで過ごしました。
○2.これって普通のことなの?
私とTさんは半同棲をする様になっていましたが、夜はバイトのない、週に4回程度Tさんの部屋で過ごしました。
しかし、Tさんと肌を重ねるうちに、普通のカップルは本当にこんなことをしているのかな?と疑問に感じる事が多々あったのです。
まず、Tさんに処女をささげた日はとてもシンプルに私の体を愛してくれましたが、二回目以降は、手を拘束されたり、時には足をベットのパイプに繋がれて、まるで私はTさんが飼っている動物の様に扱われることもありました。
水も足を拘束したままお皿に入れて飲まされたり、そのうちに首輪をはめられて、Tさんの部屋では全裸のまま自由を奪われることもありました。
また自慰行為を強要されたり、処女を奪われた2ヶ月後にはアナルも奪われました。
毎回、一緒に調教もののAV作品を見て、同じことをさせられる事も少なくかったです。
次第にTさんは私を調教したいと言い出して、二人で買い物へ行く時は私のアソコにローターを挿入させて、リモコンを持っているTさんが自由自在にバイブを入れたり切ったりするのです。
外で、いかに私が我慢できるかを試していると言うのです。
Tさんの調教はエスカレートして、一生経験する事など無いと思っていたスカトロプレイまでさせられるようになりました。
さすがにその時は恥ずかしくて、許してほしいと泣いてお願いしましたが、Tさんは許してくれず、次第にスカトロも当たり前の行為になりました。
○3.この生活は離れたい、しかし体は素直でした。
私はTさんとの生活というか性行為が普通ではないと感じてきたので、何度か離れたいと思うこともありました。
しかし、距離を置くもの、体がTさんを求めているので、特に生理の前のホテルモンバランスが崩れた時は自然とTさんに抱かれに行きました。
何度も別れるチャンスがありましたが、結局Tさんの元へ戻りました。
私が大学を卒業すると、関西の企業へ就職が決まったので、その事がきっかけにTさんとは泣く泣く離れましたが、正直、その後の男性とはノーマルセックスしかしていないので、たまに調教されたいと思う私がいます。
人のついた習慣はそうそう変えられないと思いましたが、ようやく普通の女性の気持ちと体に戻れた私がいます。