・私とマッサージ機の出会い
私と電動マッサージ機の出会いは、実に健全なものでした。
日頃からスポーツを楽しむ私は、ハードな練習の弊害で体のあちこちに痛みがくることが頻繁にあったのですが、そんな私を母が心配し、小型の電動マッサージ機を購入してきてくれたのがきっかけでした。
実際にどれほどの効果があるかはわかりませんでしたが、母の気持ちが嬉しくて、就寝前の日課になりました。
それがオナニーの道具として使えることを、この頃はまだ知りませんでした。
・オナニーの道具と化した瞬間
ある日、身体能力の高い友達が格安で利用できるジムに通っていることを聞き、興味を持った私は、その友達に誘われる形で初めて器具を使ったトレーニングをしたのですが、その翌日、普段とは比べ物にならない激しい筋肉痛が全身を襲いました。
そのことが原因で、普段は首筋や腰にしか当てなかった電動マッサージ機を胸や股関節にも当てることになったのですが、その瞬間、これまでの気持ちよさとは異なる快感に身悶え、そのままイってしまいました。
親に買ってもらった道具をそのようなことに使ってしまった罪悪感と、快楽を知った悦びが入り混じった複雑な気持ちでしたが、この日を境に、アダルトな世界で電マと呼ばれる方の使い方がメインとなりました。
・なぜバレることになったのか
その日の休日は珍しく午前中から母が出掛けており、珍しく一人ぼっちになった寂しさを紛らわすように、母がいたら絶対に不可能な音量で音楽を鳴らし、寛いでいました。
普段、電マにスイッチを入れるのは就寝前と決まっていたのですが、誰もいないという解放感に背中を押されるように、真昼間から電マに手を伸ばしました。
オナニーを楽しむ上で、家に誰もいないことの付加価値は他にもあり、普段は携帯でこそこそ見ているだけのイケメンの画像やAVのサンプル動画を、PCの大きなモニターで見ることができました。
また他にも、感情が昂るままに喘ぎ声を発しながらできたらどんなに気持ちよいだろうと密かに憧れていたオナニー環境を、突如、手に入れることとなり、ムラムラしました。
このときはまだ、忘れ物をした母親がこちらへ向っていることを、知る由もありませんでした。
・バレたときの様子と私の気持ち
急ぎ足の母が玄関のドアを開ける音も、音量を注意するべく私を呼ぶ声も、返答がないためキレ気味に私の部屋へ近づく足音も、一切、聞こえなかった私は、絶頂に向けて一直線の状態でした。
母が勢いよくドアを開けた瞬間、私は謎の奇声を発してしまいましたが、下着を膝下まで下ろし、電マを股間に当てている状態の私に言い訳の余地はありませんでした。
唯一の救いは仰向けの状態だったことで、比較的ダメージの小さい体勢のときに突入されましたが、これがもし数分前だったら、親がドアを開けた方向に尻を向けるように四つん這いになっていたので、少しだけ救われた気もしました。
ドアを開けた母が目にした景観を想像すると、穴があったら入りたいとしか言いようがなく、すっかり意気消沈した私は、音楽を止めて一点を見つめていましたが、親が再び出て行くドアの音を聞くとじわじわと興奮が復活し、続きを楽しみました。
先ほどのような爆音は鳴らさず、いつ帰ってきても良い警戒モードに入ってたので、先ほどのような解放感はありませんでした。
・母の反応とその後
母の方の反応は、苦笑いと共に顔を背けるような体勢でドアを勢いよく閉め、「何やってんだか」という乾いた捨て台詞をドア越しに吐く、というものでした。
まじまじと見られたり、感情的になって叱られたり、粛々と諭すように説教タイムに入られたら最悪でしたが、忘れ物を取りに来た母には時間がなかったため、自然とすぐに家を呼び出す形となったのは救いでした。
しかしよくよく考えれば、それも母が外出している束の間の救いで、母が帰ってきたらそのような時間が設けられるであろうことに、胃の痛い時間は続きました。
どんな返事をしようか、頭をフル稼働させて出した答えは、下手な言い訳はせず、親がくれたものを変なことに使ったことを素直に謝って、今後はそのようなことはしませんと口では言っておくのが、一番早くその場を収束させるはず、というものでした。
母が出て行ってから数時間後、ドアを開ける音で用事が済んだ母が帰宅したのがわかりました。
合わせる顔のない私は、タイミングが掴めず、自分の部屋から出られずにいましたが、母が部屋に近づいてくる足音が聞こえたので、突発的に寝たふりをしてしまいました。
すると、部屋の前からドア越しで、「さっきはノックもせず、ごめんね。お腹すいたでしょ。ご飯にしよ。」と声をかけてくれました。
そしてそれ以後、母がその話を口にすることは一度もありませんでした。
この一件で、仮に良くない行いをしたとしても、本人が反省していると感じたら、本質に触れないであげる優しさがあることを、母から学びました。
本来であれば、自慢の母としていろんな場面で語りたいのですが、この話をするには自分が電マオナニーを見られたことから話す必要があるので誰にも話せませんし、この先も話す機会は訪れないのが、少し残念です。