もうとっくに成人した年齢の私ですが、性の知識に関しては何かと遅れ気味なところが昔からありました。
今はさすがにセックスも経験しており、教科書を通しても経験を通しても自分の身体や男性の身体、また妊娠や出産などについては年相応に理解しているつもりです。
妊娠や出産は未だに経験していませんが。
それでもどういう仕組みで妊娠してどういう経緯で子どもが出てくるかなど、子どもの頃とは違って現実的な知識はあるわけです。
私の両親はとても保守的で、恐らく自分たちも恋愛経験なども決して早い方ではなかったのだと思います。
そして私の兄弟の中には娘は私一人だけであるためか、私にも何かと性の知識を与えずに育てましたね、両親は。
恐らく性の知識だけではなく社会に関しての知識や本当は教えるべき大事な知識もわざと与えないようにしていた部分もあるのかもしれません、あまり知り過ぎて要領良くなったら両親が私を支配し辛くなると思ったからでしょうね。
なので私は自分の身体のことやセックスのことなども、教科書や経験を通して主に知ることしかなく、親からはあまり教えてもらうことはありませんでした。
生理とは鶏のように「卵」が丸い状態で身体から出てくると思っていた
呆れるかもしれませんが、小学校5年生ぐらいまでは生理とは軽く友達の噂から聞いたり学校の簡単な性教育タイムで知ったりしましたが、学校ではあまりリアルにどういう状態で生理の経血が出てくるかなどは教えてくれず、子どもに支障のない程度に生々しさを抑えた図などで解説された程度でした。
なので実際どういう風に出るべきものが出てくるのかは知りませんでした。
学校で生理のことを習った後、母が「女の人の身体の中には鶏みたいに卵がたくさんあるから、その卵が毎月出てくるようになるんだよ」と教えてくれただけでした。
まるで5歳児にでも説明するかのようなオブラートに包んだ幼稚な説明だと今振り返ってみたら思います。
実際、自分の生理が来るほんの少し前まではグリーンピース程度の大きさの卵が自分の大事な部分の近くの穴から出てくるだけだと思い込んでいました、それも丸くて固いままの状態で。
実際、5年生の夏休みのときに泊りがけの子ども用サマーキャンプに参加したのですが、一緒に参加していた一つ年上の女の子が生理になっていて大変がっていました。
「生理があるからトイレで毎回ナプキンを替えなくちゃいけないから」と大変そうに言っていましたが、私は心の中で「卵が身体の中から一回出るだけならなぜそんなに大変なの?そんな何回も替える必要あるの?」と無邪気に思っていました。
実際に自分の生理が来るほんの少し前にそのことを友達に話したら、友達にはバカにされ、卵ではなくその卵子と言う名の「卵」が混じっている経血がかなりたくさんの量で出てくることを教えてくれました。
ときにはドロッとたくさん出ることもあるから大変みたい、ということも教えてくれました。
それでかなり生理への恐怖が増したのですが、それと同時に自分の母親がどんなに生理の仕組みの説明を省略していたのかを発見し、少し怒りを覚えたことを今でも覚えています。
やがて6年生になって自分にも生理が来たときには経験を通しても生理のことを知って行ったのですが、そのときになって初めて色々と生理のときに気を付けた方が良いことや生理の現実的なことについて母が教えてくれたのでありました。
教えてくれるのが実際に生理になったときでは遅かったです、その分なったときのショックや戸惑いが大きかったですね。
今振り返ると私のことをウブで世間知らずのままにしておきたかったのかと疑ってしまうときがあります。
親の前では性の知識も経験もないフリをしていた私
そして親が私に十分な知識を与えなかったことは私にも影響を及ぼしました。
親が私に性の知識をあまり積極的に与えることがない、それも友達の親たちよりも明らかに色々と秘密にしてきたことを考えると、自分も自分の身体のことを親から秘密にしようという気持ちが芽生えたのです。
なので生理が来ても隠すようになりました。
汚れたパンツは親が見ていないときにこっそり洗って洗濯機に入れたり、生理が来ているときも来ていないと嘘をつきました。
でもそれはまだ良いのです。
初めてのセックス経験は意外なことに遅くはなく、14歳のときでした。
恐らくそのときは親も私は処女のままだと思い込んでおり、セックスとは一体具体的に何をどうすることなのかあまり良く分かっていないのだと思っていたのだと思います。
そういうウブで無知な「期待通りの」14歳の少女を自分でも親の前では演じていましたからね。
今でも親は私の14歳の初体験のことを知りませんが、恐らく何かの間違えで知ってしまって驚いたとしても、文句を言う資格はないと思います。
そういう隠し事をするようになったのも親に原因があるのですから。
そう、親にとって都合の良い箱入り娘に育てようと思って与えるべき性の知識をろくに与えないと、想像とは違う方向に育つ場合があるのですよ。