【自慰行為を知ったのは高校生】
私が自慰行為を知ったのは中学3年生の頃でした。
当時はラジオ番組が好きだったのでバラエティのラジオ番組を聞いていたのですが、そこでお笑い芸人が「昨日自慰行為をしてたな~」と言っていたました。
当時の私は「自慰行為?なんだそりゃ」という状態でした。
家族に聞こうとしても聞きにくい。
友人に聞こうとしても周りには真面目な友人しかいなかったので、聞けなかったです。
なので、自慰行為の事は分からないまま、その時終わりました。
自慰行為の言葉の存在を知ってから1年後、私の家にパソコンがやってきました。
「よし!これで色々とHなページ見れるぞ!」と感じて私は早速Hなページを見まくりました。
私はHな単語を調べる事に。
「自慰行為とは」と検索をして調べたら「アソコを自分でシゴく」という感じの事が書いてありました。
私は「アソコをシゴく?それだけ?」と感じました。
調べていく内に「長い間シゴく事によって液が出る。」と書いてありました。
当時の私はそれがとても驚きました。
まさか男性器はオシッコ以外に役割があったとは。
しかも調べていくと「子供を作るには性行為が大事」というのも書いてあって更に驚き。
当時の私は性行為には全く知識が無かったので、子供が生まれる方法も知らなかったのです。
【まずはオカズ探し】
自慰行為の方法もある程度わかったのでオカズを探すことに。
私はウキウキ気分でパソコンでHな画像のページに行ったら「18歳未満はお断り」という文字が書いてありました。
当時の私は高校1年生の15歳。
Hなページを見る資格がありませんでした。
なので、Hなページでオカズを探すことは断念。
しかし、自慰行為はしたいので、Hな本を探すことにしました。
本屋さんまで行ってエロ漫画を買いに行こうとしたのですが、店員さんにエロ本をレジで出すのは恥ずかしいので断念しました。
兄も性格が真面目なのでエロ本は持っていないと仮定。
なので、まずは、父親の部屋に行ってエロ本採集を行う事にしました。
父親の部屋にこっそり行って、探してみたらエロ本がたくさんあったので、父親が帰ってくるまで借りることにしました。
【場所も大事だった】
私は父親のエロ本を使って父親の部屋で自慰行為をする事にしました。
下半身すっぽんぽんになって、顔が美人で美巨乳の女性が映っているページで自慰行為を行う事にしたのですが。
しかし、あまり親の部屋に行かない私が父親の部屋にいる事に、母親が気づいて「何やってるの~?」と2階に上ってきました。
私は慌ててズボンを履いてエロ本を隠して「いや~外の景色を見ていて~」とごまかしました。
よくよく考えたら2階で自慰行為をしたら、自慰行為の振動が1階に響くので、場所としては最適では無かったです。
2階では自慰行為が出来ない。
それならばどこが良いかを考えました。
お風呂だったらエロ本を持っていくとエロ本が濡れてしまうからダメ。
自分の部屋は兄と共同で使っているのでダメ。
考えた結果、トイレで自慰行為を行う事にしました。
【いざ初の自慰行為を】
私の家には外にもトイレがあって、外のトイレは誰も使っていないので、そこならばカギも使えますので家族にはバレないと感じ、そこで自慰行為を行う事にしました。
早速私は、親のエロ本を片手に外のトイレに引きこもりました。
ズボンを脱いでお気に入りのページでアソコを握って上下に動かしました。
しかし、どんだけシゴいても液は出なかったです。
シゴいていく内に「こんなにアソコをシゴいて大丈夫なのか?」「傷とか出来たらヤバくないか?」とネガティブになっていきました。
シゴいても液が発射しないので、私はアソコの持ち方を変えました。
初めは竿を握って上下動かしてのですが、今度は亀頭や裏筋を積極的に攻めました。
そしたら意外と気持ち良い。
これなら発射できると感じたので、そのまま腕は疲れていますが、シゴきまくってとうとう発射できました。
発射する寸前は物凄く気持ちよくて驚きました。
こんなに自慰行為は気持ち良いから男の人たちはハマるのだなと実感しました。
【処理が大変だった】
無事、自慰行為に成功したのは良かったのですが、ある問題が。
自慰行為が気持ちよすぎて、液がトイレの中に散らばってしまいました。
私はシゴくの夢中で、発射寸前にティッシュを用意するのを忘れていたのです。
なので、トイレの便器に液が付いてしまって、私はティッシュで拭く事に。
液のニオイは独特で魚のようなニオイがして驚きました。
家族にバレないようにしっかりと液を拭いて消臭スプレーも発射して無事終了しました。
【まとめ】
初めて自慰行為をする時はかなり緊張しました。
方法を間違えたらもしかしたら、アソコがえらいことになるのではなど、ネガティブになっていました。
しかし、実際はただシゴくだけ。
しかも発射の時は物凄く気持ちよい。
自慰行為はある意味、私の青春でした。