★特別エロは意識していなかったものの…
私が初めてオナニーというものを覚えたのはちょうど中学2年生になった春先の頃。
これまで股間に色々な刺激を受けたり与えたりして、何だか不思議な気持ち良さやドキドキ感というものはあったのですが、自分から意識してフィニッシュにまで持ち込んだのはそれが初めてでした。
とは言え、それは股間への刺激による純粋な快感や気持ち良さが優先してのもの。
私自身その頃まではエロ関連のコンテンツや写真、雑誌にはあまり興味がありませんでしたし、周囲の女の子もまだ性的な対象としては見れず、あくまで普段から味わっている気持ち良い刺激の先に何が待っているのか、最後まで確かめたいという単純な欲求が強かったのです。
いや、エロネタに対する身体的な反応や刺激が全く無かった訳ではありません。
ただそのストライクゾーンや性癖があまりに狭く、自分を興奮させるに値するネタを自分自身で検索したり準備したり出来なかった、という点が大きかったのです。
★気持ちは良かったものの後処理を始め色々と大変に…
オナニーを初めて試した日は春先のちょうど日曜日。
両親も姉も用事で出掛けており、自宅には私1人切り。
これは絶好のチャンスと自分の寝室に向かい、部屋の窓もドアも完全に締め切った後、ベッドの上にうつ伏せとなり、少しづつ前後にストロークさせながら刺激を与えていきました。
もちろんオナニー自体に関しては友人等から話を聞き、またネットで調べる環境もあったので、起こり得る結果を想定し準備は怠りありませんでした。
具体的にはベッドの上、股間の下には柔らかい感触のタオルを敷き、ベッドカバーやシーツに精液が漏れない様にしたのです。
好きな女の子やエロを頭に思い浮かべる一般のオナニーと違い、この時は前にも書いた通り直接的な股間やペニスへの刺激により気持ち良さや刺激を得るというものでしたから、最初のうちはストロークを重ねても中々ドキドキと興奮せず、少々虚しい時間を過ごす事となりました。
ある程度時間を重ねると刺激で勃起が強くなり、またおそらくそこが性感帯だったのか太もも付け根のリンパ付近からゾクゾクする様な快感が起こり始め、絶頂へと向かい始めたのです。
それから数分、快感も絶頂に達しフィニッシュ。
溜めに溜めた後で出す小便よりも数倍の気持ち良さと共に初めての射精・オナニーを果たす事となったのです。
これまでに無い興奮で、大して身体を動かしていないにも関わらずかなりの汗をかいてしまいましたが、もちろんその気持ち良さの虜になり、その後定期的に同様なオナニーを密かにする様になったのは言うまでもありません。
この方法でかなり面倒さを感じたのはやはり後処理。
精液にまみれたタオルを密かに軽く水洗いしなければなりませんでしたし、自分自身汗と股間の精液を落とす為シャワーを浴びなければなりませんでした。
いずれも初めての体験でぎこちなく、その後次第に自分なりに工夫し洗練された方法にはなっていったのですが…
★方法も少しづつ改善しネタも集めよりディープに
初めてのオナニーからしばらくはエロネタをオカズにする方法も良く分からず、いわゆる半ば強引な刺激のうつ伏せオナニーが主体となってしまったのですが、その後ネット写真や雑誌といったエロネタに対し少しづつ興奮出来る様になってきた事もあり、布団や床の刺激だけでなく、頭の中にそれらをイメージしての、いわゆる手コキのパターンも試せる様になってきました。
うつ伏せオナニーはペニスの感度を落としてしまい遅漏の原因になる、という情報をネットから得たのもちょうどこの頃であり、これまでの方法を反省したというのも大きかったに違いありません。
初めてオナニーを経験してから数カ月で慣れた方法を変えるというのは、思い切った決断であり、それまでの気持ち良さを再現出来るのか?という不安はありました。
ただ早目にうつ伏せオナニーを切り上げられたという事もあってペニスの感度は十分残っており、よりソフトな手による刺激でも意外な程不満感を感じる事も無く、程無く射精出来る様になったのは幸いでした。
★ようやく自分好みのエロネタを簡単に揃えられる様に
初めてのオナニーから半年程経ち、ようやく自分なりに興奮出来るストライクゾーンのエロネタをネット等から抽出出来る様になり、オナニーの幅が一気に広がりました。
慣れてくれば結構それらのネタが探し出せるもので、直接キーワード検索を掛ければ、1日でネタに出来る10枚以上の画像をゲットする事が出来るのです。
オナニーを始めて日が浅い頃は、それらの画像を高画質でプリントアウトし、ベッドにうつ伏せとなった顔の前にそれを置き、その状態でネタにしつつオナニーをするという事もありました。
その後は上記の様に手コキに方法を改めた事もあってオナニーをする場所も選択肢がぐんと増え、それこそパソコンモニタの前に座りエロ画像を表示させつつ抜くという合理的な方法もようやく可能となったのでした。